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無責任な開戦を謝罪しない「責任ある終戦」

2012/05/23 22:43
 オバマ大統領が決意し、北大西洋条約機構の首脳会議も国際治安部隊が14年末までに任務を終えると宣言して21日に閉幕。
 2001年から、「同時多発テロ」に対する報復だとして宣戦布告なき一方的攻撃を進めてきたアメリカと対米屈従の同盟軍は、ヴェトナムでの敗北とは異質ながら「戦略なき撤退」に追い込まれた。
 「アフガンに費やしてきた膨大な投資を国内に振り向ければ、米国の再生が可能になる」とはオバマの発言だが、今さら何を言うかだ。
 民間ウエブサイト「アイカジュアリティーズ」によると、01年から今年12年5月12日までの国際部隊兵士の戦死者数は3000人、09年から昨年2011年までは3年連続毎年500人以上の死者を出した。

 2000年夏、アフガニスタンは大干ばつに襲われ、1200万人が被災、400万人が飢餓線上をさまよっていた。中村哲医師は飲料水確保のため、7月から年間600本の井戸を掘り、20万人の飲料水を確保、さらに400本の計画が進行中だった。最終的に1600本の井戸を掘ったのだが、01年9・11後、アメリカが報復と称して大規模空爆を開始。中村医師は日本で「いのちの基金」1億5000万円を集め、小麦粉1800トンと食用油170キロリットルをアフガンの人々に手渡した。
 さらに、大河クナール川から取水し、高台の農地を潤すという、技術的にも難しく資金も人手も莫大な事業を03年3月に開始。07年4月総工費約9億円で第1期工事が完成。10年2月に水路全長25・5qが開通、直接灌漑面積約3000f。さらに近隣にも工事拡大して、60万人計14000fの農地が再生。
 しかし、2010年8月、空前の大洪水が東部アフガニスタンと北西部パキスタンを襲い、クナール川沿いでも、取水堰などを破壊。各所で改修工事を余儀なくされた。加えて、09年からの国際治安部隊増派は治安悪化をもたらしたと言われる。外国軍隊が撤収するだけ民生は安定しているという事実もあるようだ。

 「債務危機の影響で欧州が青息吐息の中、米国は日本に熱視線を送る」。玄葉外相は「2015年以降も適切な貢献をしていく」と述べ、クリントン国務長官は「感謝する。日米の連携が重要だ」と応じる。
 軍事費削減して福祉・教育・医療・雇用に、というのが民主主義政治の原則ではないか。
アメリカのジャーナリスト、アンブローズ・ビアスの原作で西川正身編訳の『新編 悪魔の辞典』(岩波文庫)に、『悪人(malefactor n.) 人類を進歩させて行く最も重要な要因』とある。悪人の悪行を悪人自身が反省すれば、世界は少しは良くなると言える。しかし、同じ残酷な行状が繰り返されてきた。根本からの反省は出来ない本性なのだから、悪魔と言って良い。その悪魔=アメリカ合州国が編纂した辞典と解するなら、この傲慢な『悪人』の定義はさすがだ。
 1979年12月に始まるソ連の侵略戦争以降、アフガニスタンの人民の苦難は自然災害を別にすれば、専ら外国軍の侵攻によるのだ。『毎日』の5月23日の「社説」に、「「外国軍隊の存在自体がイスラム勢力の反撥を増幅し、治安を悪化させる側面も否定できない」とある。
プラスの面もあるがというのだろう。沖縄で自爆テロや武装闘争がないのは、アメリカ軍の武力攻撃がないからだが、軍事基地撤去・米軍撤退は県民の切望するところなのだ。
 「非派兵国の日本」と書くが、「戦争放棄・非武装の日本」を憲法で世界に誓った国なのだ。外国へ派兵しない、武器の輸出もしない、ばかりか、憲法第9条を世界のすべての国に勧告し、「核なき世界」「軍備なき世界」「武力行使なき世界」を実現する魁になろうと書いてほしい。

        2012/5/23 須田 稔
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沖縄を翻弄する歴史は終わらせたい

2012/05/22 23:48
 先日開かれた復帰40周年記念式典に、上原康助さんが招かれて演説した。「何故、日米両政府とも沖縄県民の切実な声を尊重しないのか」と。
 40年前、華やかな復帰記念式典の会場のとなりの公園で復帰抗議大会が1万人を集めた。上原さんは戦後初の沖縄選出衆院議員として挨拶した。土砂降りの雨だった。参加した新里米吉さんは「基地縮小どころか、基地維持のための復帰だと見抜いていた」と語る。40周年記念式典の日も雨降りだった。上原さんは「今日の雨も沖縄の悔し涙だ」と呟いたそうだ。

 上は、外信部の大治朋子記者が、今日22日付「発信箱」で書いていることだ。彼女の結語の部分を引き写すと、
 「在日米軍基地の7割以上が沖縄に集中する現状を「不平等だと思う」人は全国平均では33%、沖縄県民が不平等だと感じる割合(69%)の半分以下だ。
 「もしや」という期待と「やっぱり」という落胆が交錯した40年。米軍基地と本土が、沖縄を翻弄した歳月でもある。そんな歴史は、終わらせたい」。

 同感です。拍手します。大治朋子さん、だけど、申し上げたいこと2点あります。
 沖縄県民の悲しみ・苦痛・憤り・悔しさ・嘆き、祈りと叫びを、『毎日新聞』初め本土の新聞・雑誌やテレビ・ラジオは、全国民的課題として取材し報道してきましたか。『琉球新報』や『沖縄タイムス』は沖縄県民の希求を伝えてきました。だけど、全国紙は基地と関連する諸問題の扱いは「ローカル」扱いでしかなかったではありませんか。10万人前後の大集会は無視出来ないできましたが、恒常的に視野に入れて本土人に報知・啓蒙・警告・訴求する姿勢はないままでしょう。「社会の木鐸」という使命は、沖縄県民に、ひいては本土の主権者に、十全に果してこなかったでしょ。その事の検証と反省が大事でしょ。
 もう1点は、「沖縄を翻弄してきた歴史」の主体は「米軍基地と本土」とお書きですが、正確には日米両政府ではないですか。つまりは日米安全保障条約=日米軍事同盟ではありませんか。「専制と隷従、圧迫と偏狭」、「恐怖と欠乏」の日米関係が根源ではありませんか。だとすれば、この不平等で圧制的な歴史を終わらせるには、病原を除去するのが最善なのではありませんか。大治朋子記者は終焉させたいという願いを、どのようにして実現しようとお考えなのですか。この点を明快に提起なさらないと、説得力に欠けると思うのです。

 沖縄県民が祖国復帰に寄せた期待は、日本国憲法が支配する「平和国家」に、つまり、核兵器も軍隊も軍事基地もない国に編入されること、琉球王国時代の「ぬちどぅ宝の地」「万国津梁の地」に復帰することであったのです。
 日米同盟体制が日本国憲法体制に優越するという戦後の歴史、これを構築し維持し続けてきた歴代政権が、沖縄を翻弄してきたのです。
そして、マスメディアの罪業も深いのです。

 原発も、広島・長崎の惨状から核アレルギーになった日本人民に、「平和利用」という美名でアレルギーを除去し、かつアメリカの核兵器による世界覇権戦略に日本国を取り込むための装置だったのでしょう。つらつら考えると、狭小の地震列島に54基もの原子力発電所を建設し、在留米軍への直接支援で日本が世界40カ国全体の77・9%を占める、そしてその経費は32億2800万jにもなるという内政も外交も異常ですね。「抑止力」とは「恐怖を与える脅威力」。自由と民主主義と平和は非暴力でこそ実現されるのでしょう。

     2012・5・22    須田 稔
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事故を、被曝を 被災者をナメるな 政府よ 原子力ムラよ

2012/05/21 22:54
 山田孝男さんの5月21日付「風知草」の題目は「まだ何も分からない」。謹厳実直のせいか、「公正中立」の建前のせいか、怒りが抑制され過ぎているのが不満だけれど、共鳴する。   
 福島原発の事故の実相も原因も、責任の所在も、収束手順も被災者救援対策も、まるきり明白・明確でない状況なのに、しかも地殻変動や火山活動の活発化が科学的知見として指摘されているのに、盛夏の電力供給不足の可能性を喧伝して「大飯原発の再稼働」と消費税増税に「政治生命を懸ける」などと言いつのる、こういう総理大臣は「まだ何も分かっちゃいない」のですね。
 財界の強欲、原子力ムラのメンツ、政府の傲岸不遜とも無知蒙昧ともとれる軽薄さで、この国の深層が今や崩壊の危機にあるのです。
 主権者人民の生命・生活は「鴻毛」のごとくに軽視されているのです。「恐怖と欠乏から免れて平和のうちに生存する権利(日本国憲法前文の一節)」は踏みにじられているのです。

 山田さんの文章を紹介しよう。「原発事故の究明はどうか。破局の原因は地震か、津波か。分からない。あれこれ推測はできるが、放射線量が高くて近づけないから、実際に調べることができない」。
 「要するに、事故の原因も、現状も、責任の所在も、未だ全く確定していない」。
 「政府は電源車配備とか、防潮堤かさ上げとか、間に合わせの対策で折り合いをつけようとしている。原発事故をナメるなという、復興構想会議が刺したクギが抜け落ちかけているというのが今の大局である」。
 「原発事故に関して既に多くの調査がなされているが、強力な放射線に阻まれて炉内の真実を解明することは出来ない。高をくくるべきではない」。
 毎日新聞社が労資あげて、山田孝男さんの論説を共有しているのかどうか。20日付『赤旗』の「まど」欄に書かれていたが、「消費税増税でメディアにも歴史的使命が在ると野田首相の面前で発言した『朝日』編集幹部と、『毎日』の幹部もその会食に同席していたというのだ。
 もちろん、山田孝男さんも含めて、『毎日』が「原発の安全神話」流布に加担したのかどうか、メディアとしての責任を検証したのか、問いたい疑問なのだ。いま、比較的健闘している方に入るのではないかと『毎日』を見ている僕だけれど、深く憂慮もしているのだ。

 19日、『しんぶん赤旗』は一面トップに「三菱重工 大飯原発」「自社原子炉 自ら耐性試験」「 “お手盛り”安全評価」という見出し。「本紙の取材で判明」とあります。
 発注した会社が納入した会社に、製品の安全性試験を依頼する、などは、それで公正な評価が出来るなどとは思わないのが常識でしょ。
当然、第3者が、発注にも納入にも関わらなかった中立的な科学的機関が検査を担当すべきでしょ。しかも、製品が未曾有の大事故を起こした製品と同類とあってはなおさらです。
 こういうお手軽検査も規制緩和の所産なのでしょう。安全は二の次、経済的利益が至上命令、という「自由市場主義経済」「構造改革」が福利・福祉を敵視さえするのですね。
 電力業界・原発製造重工業界・多額の研究費で飼育される学者・官僚・政治家・マスメディアが作るペンタゴンは、世界で暴力の最大の調達人であり使用者であるアメリカのペンタゴン(国防総省)とならんで、人類に恐怖をあたえ安全を奪う犯罪集団みたいなものですよ。
 この両者の同盟、これが日米同盟の実体で、日米安全保障条約の呪縛から解放されないと、人民は棄民にされ続けるのです。真相究明に精力的な取材活動を頼みますよ。

      2012/5/21 須田 稔
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「万国津梁」は軍事同盟を拒否するのです

2012/05/16 22:01
 沖縄復帰40周年の式典で首相は「万国津梁」を2回使って式辞を述べたという(5・16『毎日』)。世界の全ての国々と心を通わせる、平和と友好の精神が琉球王国いらいの民衆に息づいているのだが、首相が使うと白々しい。  
薩摩藩・明治政府による迫害と強奪、そして昭和天皇のもとでの国体護持のための捨て石、米軍統治下での米国の戦争政策の要石とされている沖縄。米軍基地は、沖縄民衆の万国津梁の精神と「ぬちどぅ宝」の魂を踏みつけてきた。
 野田首相は日米同盟を讃美しておきながら沖縄を「振興策で懐柔」(5・16『毎日』見出し)する従来の自民党政権の姿勢を踏襲している。罪責感はひとかけらもないのだろう。

 沖縄の人々が日本復帰を願ったのは、「人間として扱われたい。平和憲法の下で人権を保障されたい、という人間回復の闘いだった」(5・13『毎日』「ウチナーよヤマトよA」)。
 「よがわり」は『沖縄大百科事典』に「世替わり」とあり、「外からの力によって沖縄の命運が決められ、世の中が変わってしまうこと」と説明される(5・15『毎日』「余録」)。45年6月下旬から、「ヤマト世(ゆ)」は「アメリカ世」に世替わりした。日本国憲法よりは日米安全保障条約が支配している沖縄なのだ。
 問題は、沖縄県民の「負担」あるいは「犠牲」を本土の住民が分かち合うこと。「偏った負担を分かち合う『世替わり』いや『世替え』は国民みんなの責務だ」(前出・「余録」)とある。

 40年前の5月15日、「パスポート焼葬式27年の屈辱と怨念を込めて新時代ののろし」と記した横断幕を掲げて旅券を焼く沖縄県人会兵庫県本部の人たちの写真がある(5・15『毎日』「ウチナーよ ヤマトよC」)。会長の大城健祐さん(70)の胸には、「復帰40年の感慨と根強い差別への怒りが去来する」。
 沖縄県民の負担を、苦難を、犠牲を、本土の人民が分かち合うとは、どうすることなのか。
 外交評論家の岡本行夫氏は「(普天間の)移設先は本土しかない。県内はもう無理だ。・・・本土のどこかでも同じ様な機能を果たせるということになれば、抑止力は傷つかない」(5・15『毎日』)と言う。
 『毎日』の「社説」(5・15)は「解決には、本土が負担を引き受ける以外にない。・・・必要なのが、沖縄の基地や訓練場の本土移転である。本土側が沖縄の意識を共有することが第一歩であり政府の努力が不可欠だ。沖縄で米軍基地拒否がうねりになれば、基地の円滑な運営、安全保障政策の効果的推進は不可能となる。/政府も、本土も、沖縄の『叫び』に正面から向き合うべきである」。岡本行夫氏的論調だ。

 負担格差の解消は、負担の公平化以外にないという論理。原発を辺境に集中させるという差別をなくすため、大都市に立地すべし、という主張に似ている。危険物はどこからも除去しなければという主張が、なぜ存在しないのか。
 そもそも、原発で『安全神話』を浸透させてきたとおなじに、軍事基地は「戦争抑止力」だという『安全保障神話』を軍事産業が作り出してきたのだが、殺傷と破壊の猛毒麻薬の中毒症に、いい加減に気付いて、地球社会を人間の暗愚でなく叡智が支配できるように「世替え」しなければならないのだ。
 「記者の目」(5・16)で政治部の佐藤千矢子記者は、「沖縄の米軍基地負担を減らすため、自衛隊にどこまでの活動を求めるのか。本土に基地を受け入れられるのか。そういう根本的な議論をした上で、問題解決への一歩を踏み出さなければいけないと思う」と書いている。
 人間の倫理の根本から考えていくべきではないですか、佐藤記者さん。理想を実現しようと現実を変えねばならないのです。

       2012/5/16  須田  稔
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1%対99%で 1%に正義が在る場合

2012/05/14 22:07
 『毎日』が5月12日に連載を始めた、「ウチナーよ ヤマトよ 沖縄復帰40年 5・15を巡って 」。連載の意図を最後に説明している。全文を転記しよう。
 「毎日新聞が5,6日、琉球新報と合同で全国と沖縄で実施した世論調査で、沖縄に基地が集中する現状を沖縄の人の69%が「不平等」と答えたのに対し、全国は「やむを得ない」が37%で「不平等」の33%を上回った。復帰3年前の屋良・愛知会談に表れた両者の溝は、そのまま今の沖縄と本土の意識差に重なるように見える。「未完」の復帰を規定した40年前の「5・15」を巡る人々の言葉をたどり、原像を追う」。

 後半で「沖縄と本土」と正しく書きながら、前半で「全国と沖縄」と、沖縄が日本国に含まれないような表現になっているのは、記者の「意識差」の表れか。「温度差」などと自然現象のように軽薄に使うよりは精確だが、ズバリ本質を表現するなら「沖縄に対する本土の差別意識」というべきなのだ。

 沖縄県は面積で全国の0・6%、人口で1%。在日米軍専用施設面積の約74%が沖縄に。
 人口比でヤマトが99%で沖縄1%。圧倒的な力の格差。多数決を原理とする民主主義に立つと、沖縄県民は本土日本人の意向に従って、米軍基地の74%という負担・重圧は「シカタガナイ」として耐えなければならないことになる。これは正義か。民主主義か。
 どうしても沖縄の歴史を知らなければならない。1945年3月26日の慶良間諸島への米軍上陸、4月1日に本島への18万2000の兵力上陸、6月23日、牛島司令官自刃、日本軍戦死者10万9629人、米軍戦死1万1500人で終焉した、この沖縄戦は、日本の支配層の天皇制=国体護持が保証されるまでの「捨て石」であった。
 45年2月14日、近衛文麿は昭和天皇に、国体護持のために早急に終戦をと上奏したのを、天皇は退けた。でなければ沖縄戦も原爆投下もなかったかも。8月15日に「終戦の詔勅」。47年5月3日に「日本国憲法」が施行された後の9月22日、「琉球諸島の将来に関する日本国天皇の見解」をマッカーサー元帥あてに送り、沖縄と南西諸島を米軍の軍事占領下に置き続けることを希望すると伝えたのだ。天皇は憲法に規定された象徴としての権限を逸脱して「憲法違反」の戦争犯罪を犯したのだ。
 51年9月8日、講和条約第3条で、米政府の軍事占領を承認して、日米安保条約で、今日に至るまで、沖縄では米軍に治外法権的地位を享受させている。米兵や軍属やその家族が為す殺人・傷害・強姦・強盗など凶悪犯罪であれ、ヘリコプター墜落炎上で校舎を損壊する大事故を起こしても、日本の警察が逮捕し日本の裁判所で審理することもできない植民地的状況。

 沖縄県民に負担させる、つまり犠牲を沖縄の同胞に押しつける、それは「やむをえない」事と済ませて平然としている。99%が1%への不正義を不正義と自覚していない悲しくも残酷な現実。
 米国統治下の基地従業員は「虫けら同然だった」。トイレは「米人専用」と「沖縄人用」に分けられていた。米国内の黒人差別と同じ状況。それゆえに、基本的人権を保障するという憲法が施行されているはずの日本への復帰を切望した沖縄人だった。が、何も変わらなかった。「本当に復帰してよかったのか」と問う沖縄人が存在するのも不思議ではない。
 琉球・沖縄差別、イスラエルのパレスチナ人民に対するアパルトヘイトを支えている政府。之を理不尽と思い、99%のヤマトの一人である事を拒否し正義の1%に組してこそ主権者。

      2012・5・14  須田  稔
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この国は病んでいる 原子力ムラが国民から政治・経済が若者から 希望を奪っている

2012/05/11 22:14
 5月2日、内閣府が意識調査の結果を発表した。「自殺対策に関する調査」だ。
 一月中下旬、全国の20歳以上の男女3000人を対象に実施。有効回収率67・2%。
 「自殺したいと思ったことがある」23・4%。前回4年前の調査に比べて4・3ポイント増。20歳代28・4%、前回比3・8ポイント増。40歳代27・3%、50歳代25・7%、30歳代25・0%、60歳代20・4%、70歳代以上15・7%。
 ちょっぴりホッとするのは、東日本大震災後に、「人と人との繋がりの大切さを再認識した」が64・3%。ただ、「心情や考えに特に変化はなかった」が年代別で20歳代が13・2%で最高というのが気になる。

 5月10日付『毎日』の5面で、三つの問題に注目した。「社説」で「国民は、事故を起こした東電だけでなく、政府の原子力政策や原発安全基準にも不信感を募らせている」、「将来的に原発をゼロにするという政策目標とその道筋をしっかり示すことで、国民の納得を得る努力が必要だ」(8日付の1面トップに「大飯再稼働反対63%」「判断基準「信用せぬ」77%」と『毎日』の世論調査結果が掲載されていた。)と、穏当な論説。一兆円規模の公的資本注入と賠償資金とを合わせて約三兆五〇〇〇億円の公的資金が東電の今後の事業計画につぎ込まれるという。
 「公的資金」? つまりは国民が納めた税金のことではないか。加害者が被害者に支払う賠償金を被害者に出させるということだ。

 二つ目の問題。航空自衛隊の次期主力戦闘機としてアメリカの最新鋭ステルス機F35を導入する計画だが、1機当たり約99億円を4機分一二年度予算に計上していたのが、米政府が先月、議会に日本に納入する42機の総額を推計100億j(約8000億円)と報告。1機当たり約190億円に上る。この「高騰」に日本政府が苦慮と。オーストラリアは調達延期を表明。イタリアも調達計画変更の方針。
 戦争中毒アメリカに隷従して高額兵器を購入など、被災地復興・被災民救済こそが急務なのだから、断念すべきなのだ。

 三つ目のこと。国会議員の海外派遣費を13年度は12年度の4・5倍の20億円程度に増やすよう求めることを衆院運営委員会で「各党」「与野党」が決めたと。共産党も了承したのか? 「党の経費で行けば良い」は「野党議員の一部の声」とあるが、『毎日』は党名を明示すべきだ。正論であろうと少数意見なら報道しない、という姿勢が民主主義を扼殺するのだ。

 三つ目。原子力の新政策大綱策定会議の内閣府事務局が、電気事業者側と経産相・資源エネルギー庁側とに議案書を極秘に提示。「(原子力と)地域社会との共生」という議案は依頼されて外した上で委員長名で会議に提案。8日付に次いで10日付でも『毎日』は報道。地域自治体と地域住民の生命・財産・共同体の創造を尊重し擁護すべき政府と企業の責務を免れようとの思惑が、いまなお蠢いているのだ。
 10日付の4面に「東京電力・総合特別事業計画」の要旨が報じられた。「新しい東電の方向性」は「@責任を全うする A開かれた東電 B顧客・社会と共にエネルギーサービスを変革する」とある。隠蔽中毒では信頼不可能だ。

 政府にも不信任状を送りつけたい。10日発表の「再稼働試算」。久田宏記者が書くように地元などに「再稼働か、電力使用制限か の選択を迫るもの」だ。「政府と関西電力による脅し」(29面)。ファシズムなのだ。

    2012・5・11    須田 稔
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「日本の医学界とマスコミの敗北だった」?いまも日米の医学界やマスコミの頽廃では?

2012/05/10 22:19
 5月8日付『毎日』の広岩近広記者執筆の「平和をたずねて」で、敗戦直後の連合軍総司令部(GHQ)の反人道的行為と、それを怒る『毎日新聞』の高潔な正義感を読んで、感慨深い。
 「広島、長崎に魔の旋風を起こした呪うべき原子爆弾の残虐性は日を経るに従ってあらゆる観点から提出暴露されているが、この度わが医学界の手で新たに病理学的立場からその悪鬼無残の真相が究明されるに至った。・・・」1945年8月31日付の記事だ。
 8月28日にGHQが設置され、30日、総司令官マッカーサーが厚木飛行場に到着。9月10日、マッカーサーは「日本管理方針」を声明。同日、GHQはラジオ検閲を実施。19日、『朝日新聞』に発行停止処分。21日、GHQはプレスコードを指示(『1億人の昭和史』15昭和史写真年表・毎日新聞社・1977年9月)。
 『毎日』のこの記事は、連合軍総司令部の強権的統制・抑圧が実施される20日前だ。
 丸山定夫氏が隊長の移動演劇団桜隊の花形、仲みどりさんが広島で被爆し、東大都築外科へ移送され、罹災後19日目の24日に不帰の人となった。そして、病理解剖に付された。
 仲みどりさんは「原子爆弾症」と医学的に診断された第一号患者となった。「この史上空前絶後ともいうべき呪いの災害を被ったわが国としては医学界の名誉にかけても、これが身体に及ぼす恐るべき影響ならびに症状を徹底的に究明し、これを世界に公示すべき重大な責務がある」。

 太字にしたのは私だが、この文章は実に率直で正鵠を射るもので、連合国軍のプレスコード以降、それが廃止された後ですら、これほど人間的良心からの怒りの言葉は新聞記事になっていないのではないか。
 それなのに、都築正男教授と三宅仁助教授らが病理解剖して得たデータ、「原子爆弾症」と医学的に診断した仲みどりさんのカルテは、米軍が持ち帰り、東大病院から消えたままという。 

 広岩記者は、「プレスコードが敷かれ、原爆の実相は長きにわたって封印された。日本の医学界とマスコミの敗北であった」と痛恨こめて書く。
 「であった」のか? その後もずっとそうなのではないか。アメリカも日本も政界・学界・宗教界・マスコミ界あげて、ヒロシマを懺悔せず、核兵器廃絶を決断せずにいる。強権で敗北せざるを得なかった日本だが、「講和」後、「独立回復」後も、アメリカの無法の脅迫に屈伏しているのだ。悲憤慷慨せずにおれようか。
 「敗北」をいつまでもでも続けていて良いのか。反核医師の会(略称)が被爆者の全てのカルテ、すべての医学的データを日本の医学界に公表せよと要求したことはあるのかどうか、私は知らないでいる。同様に、日本の言論・出版界がアメリカの政府とジャーナリストたちに、その要求を突きつけたことがあるのかどうか。

 広近さん、私は思うのです。原爆の殺傷・破壊力データを秘密にしておくのは核戦争に備え核兵器の更なる開発に備えてであって、罪業の証拠を隠滅するためでは無かったのでしょう。私は、しかし、ヒロシマ・ナガサキはホロコーストあるいはジェノサイドだと考えます。
時間が経つと、アウシュヴィッツは無かった、ナンキンはなかったという言説が流れてきました。ヒロシマ・ナガサキはなかったと言う人は未だないようですが、被害は極めて限定されていたと原爆症の認定に消極的な日本政府は、ホロコースト否定論者と同工異曲の歴史改竄を実行しているようなものです。
 ジャーナリズムの衰弱は良心の敗北です。
社会の木鐸としてご健筆を期待しています。


      2012/5/10  須田  稔
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満洲国の創生と終焉に無知でよいか 事実を知っても沈黙していては共犯者だろ

2012/05/06 22:22
 『鎮魂満洲』。1933年1月15日、中国東北部シンヤンで生まれ、46年10月「引き揚げ」るまでの日本帝国主義・天皇制の傀儡国満洲での軍国少女体験と、その後の学びで到達した歴史認識とを支えに日本の主権者の課題に取り組み、全身に転移した癌に抗しながら、無知の罪を犯さないでねとの切望で綴った「遺書」。この1月19日に79歳で逝去なさった永井瑞江さん入魂の著作。粛然と読む。

 知らずにいた大事なことを教えてもらった。
記憶が薄れていた事柄を思い出させてもらった。大本営・関東軍の戦争犯罪、いや根本は天皇裕仁の暗愚・好戦思想。在満日本人24万5千人と関東軍兵士6万人の生命・人生を「鴻毛」のごとく軽んじ小石のように捨てた「神国」。
 「五族協和」「大東亜共栄圏」は侵略・略奪・殺害・放火・暴行・陵辱を隠蔽し、国民と世界を欺瞞する美辞麗句でしかなかった。
 「あまりに無謀な関東軍の避難命令」。東電原発の過酷事故で民主党政府が示した避難命令・勧告も、本質はほぼ同じだ。死者に哀悼のことばもかけず謝罪も補償も不十分なまま、しかも事故の原因究明もまだ終わらず実情把握さえできていないのに「収束宣言」したり「戦争責任問題もはやなし」は、犯罪なのだ。
 「避難命令に従ったゆえに財産はもちろん団員の6割も7割もの命が奪われた開拓団、全滅の開拓団もある」。「無抵抗主義に徹した川路村開拓団121戸524人は炭焼きかまどを作らせてもらい製炭で無事越冬できたのに」。
 「生き残った国民全員で、あの戦争の罪悪を反省し、自分たちの手で戦争犯罪者を裁き、この旗のもと300万人を犠牲にした国旗日の丸もデザインを変え、君主を讃える君が代の国家も民主主義国家の国歌に変え、年号も西暦にし、謝罪すべき国と人民には心から詫びて戦争放棄を誓った新しい憲法を世界に示して復興の歩みを始めたらどんなによかったか」。
 そう、原発事故を日本人民と世界に詫びて原発との決別を宣言して復興に歩み出せばどれほど安堵し誇らしく思うことだろう。
 1993年8月12日に全国抑留者補償協議会の斎藤六郎会長が発見した朝枝繁春・大本営参謀名の報告書は、終戦直後に「ソ連の指令下に」「日本人180万人を追いやる棄民方針」「天皇制維持へ懐柔?」という見出しで、翌13日、『信濃毎日新聞』に報じられた。この史料は初めて知った。愕然・憤然となった。

 無条件降伏ではなかったのだ。天皇制護持が降伏を受諾する絶対条件だったのだ。アメリカは占領統治に有効と判断して、他の連合国に承諾させたのだ。日米同盟の根は此処に始まったのである。

 著者の父親は、長野県のある開拓団に招かれて、日本という国は敗れたが日本民族を滅ぼしてはならない。総自決などもってのほかだ」と集団自決を暫時思いとどまらせたという。団の幹部の「世界観、というか哲学による」のだろうと著者は書いている。
 残虐な暗黒政治体制のもとでも、例えば田中正造、例えば山本宣治、例えば布施辰治は、人間の尊厳を貫いた。
 天皇を元首に戴き、自衛隊を国防軍と称し、日米の一体的戦闘活動を可能にしようなどと、公然と主張する勢力が国会の多数派である今、
思想・良心・学問・言論・表現の自由を陰湿巧妙に剥奪しつつあるけれども、そして、残念なことに、「民主」勢力でさえ危機感が稀薄なのだが、主権者人民が知性と感性と想像力を磨く努力を強めないと、言い換えると、日本国憲法の人間観・世界観を生き方の軸にしないといけない。永井瑞江さんは僕にそう語るのだ。

      2012/5/6  須田 稔
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原子力学会の実相にガックリ

2012/05/05 00:21
 『毎日』5月2日付夕刊の「Wide」は「原子力学会定例会ルポ」。初日に福島事故をめぐる特別セッション。見出しは「ムラ 閉じたまま」「言外ににじむ「想定外」」、「批判に冷ややか」「反省の弁 全く」。これだけでショック。
 定員500人の会場は立ち見も出る程の盛況。午前10時から休憩を挟み午後5時まで約7時間。東電幹部4人を含め計8人の技術者・研究者が、事故経過や処理方針から除染まで専門的に説明したと。
 明確には言わないが、「地震による損傷はなく『想定外』の津波が問題だった」と言いたいようだったと。2号機格納容器は速い段階で地震の揺れで破損したのではないか」というある研究者の追及に、あいまいながらかたくなに否定し続けたと。
 京都大学の若手研究者が「2号機は思いのほか損傷がなかったとの発表を聞かせていただきました。今後も色々言われるでしょう。東電の皆様の苦労にお礼申し上げます」と発言したと。放射線測定や除染に関する講演のあとの討論で、京大名誉教授が原爆投下の広島は今や長寿県。被曝線量100_シーベルト以下でも問題だと言い出す人が出てくるので心配だ」と語り、京大若手研究者が「年間1_シーベルト以下を目標に除染するのは厳し過ぎる。学会としてどう考えるんだ」と詰め寄ると、参加者から大きな拍手が起きたと。
 記者は書く。「「危険性は低い。大袈裟に騒ぎすぎだ」と言いたげな数々の発言に、私は「なんと無神経なことか」と驚いた」と。「発言者からは、巨大事故の発生を防げず、事故後も十分な対応を示せなかった反省の弁がひと言も出てこない」と。
 「学会というより過小評価の説明会だった。がっかりしたけど、こうなると思っていた、彼らは結局、ムラから一歩も出やしないんだ」とため息をついた福井大学名誉教授もいたと。

  日本史上ばかりか人類史上でも最悪の重大事故で避難者6万人以上を出し汚染と内部被曝、放射能をふくむ瓦礫の処理も使用済み核燃料の処分も目処がたたず、将来世代の生命と精神にも脅威を与え続ける災厄を、まるで他人事のように見ている研究者・技術者とは、人格喪失者ではないのか。科学者の良心、人間としての倫理が不在。殺傷・破壊能力を高め命中率を高める兵器の開発・製造に従事する学者・技術者に罪責感はないのだろう。精神の荒廃。確信的犯罪者。老若を問わず、メフィストフェレスに魂を売ったファウストなのか。「原子力ムラ」は莫大なカネで魂の売買をしているのだ。

―放射線医学の専門家で、事故後、南相馬市の除染作業をヴォランティアで指導・支援していた児玉龍彦教授「今までの原子力学会や原子力政策の全ての失敗は、専門家が専門家の矜恃を捨てたことにあります、国民に本当のことを言う前に政治家になってしまった。経済人になってしまった」(児玉龍彦「内部被曝の真実」。ことの真実をついた言葉だと思う。―
 こう『犠牲のシステム 福島・沖縄』で高橋哲哉教授は書き、昨夏、福島県立医科大学副学長に就任した山下俊一氏が、事故発生後間なしから県内各地で「毎時100マイクロシーベルトまでは危険はありません」と講演、のちに10マイクロシーベルト=年間87・6_シーベルトに訂正。
 しかし、文科省が4月中旬に、年間累積放射線量が20_シーベルトに達する恐れある地域を計画的避難区域としたから、県民の山下氏への不信が募った。が、山下氏は5月3日、「今でも100_シーベルトでリスクがあるとは思っていません。国が決めたことです。私たちは日本国民です」と。政府が決めたから従う」と講演。真理の探求者でなく政治家の従僕と化して平然である頽廃・醜悪が露呈するのだ。

       2012/5/4  須田  稔
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5月3日の『毎日』、社会部による特集に拍手

2012/05/04 22:11
 12面で「政治は きょう憲法記念日」。最大の見出しは「「強すぎる参院」つけ重く」。引用は「憲法59条」で「法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。」
 13面「きょう憲法記念日 生活は」。最大の見出しは「問われる「法の下の平等」」。引用は「憲法前文の一部」で「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。さらに「憲法14条すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」。
 原発事故に焦点を当てて、「原発避難住民の人権」「町引き裂いた放射線」、「「対象区域「内」と「外」 生まれる格差」、「補償、入居条件、偏見――空についたてあるのか」が見出し。
 この13面の特集は、社会部の伊藤一郎・藤沢美由紀・竹内良和の3記者が担当したとある。
 「3・11の被災地現場を改めて訪れ、国の最高法規が果すべき役割を考えた」とあるが、本来のジャーナリズムが息づいている。平和的生存権を擁護するなら、原水爆など核兵器も原子力発電も廃絶すべしと主張するのが知性と感性と想像力の必然の所産なのだ。
 恐怖のない世界で生きる権利を蹂躪している政治を新聞は烈しく批判すべきだし、憲法を尊重し擁護する義務を負うのは、主権者国民ではなく、天皇・国会・政府・裁判官なのだから、憲法第99条も引用してもらいたいのだ。

 首長1685人を対象にアンケート調査、回答1101人(65・3%)。原発の即時廃炉24人(2・2%)、10年以内に廃炉154人(14・0%)、政府の決めた寿命40年で廃炉373人(33・9%)、今後も継続・新設も9人(0・8%)。その他541人(49・1%)。この期に及んでなお自分の頭で判断できない首長が大半。『毎日』が特集で引用した憲法前文と第14条、加えれば第25条、目にしたことがない、じっくり考えたこともないのだろうか。有権者がこういうレベルでいるのか。
 
 3日の「社説」は「国のかたち考える D論憲の深化」。「私たちは、即改憲でも永久護憲でもない「論憲」という立場を取ってきた。現憲法の精神とでも言うべき平和主義、国民主権、基本的人権という三つの原則は生かす。一方で、時代が提起した新しい課題を憲法の中でどう位置づけるか、積極的に論議しようというスタンスである」。
 新しい課題の憲法上の位置づけもだいじだが、例えば「1票の格差」の解消を叫ぶ一方で、小選挙区制や比例定数削減が「正当に選挙された国会」に背反することを大きく問題にしない、核武装も合憲だという論自体の違憲性を黙過する、自衛隊の海外派兵を糾弾しない、こういう態度は、人間世界のあるべき未来が要請していることでは決してない。軍事・エネルギー・食糧・広報と教育で世界を支配したい勢力が作り出す時勢に適応するのが理想社会を実現する道ではない。
 最高裁判所までもが、違憲政治を合憲とする状況の中、「メディアの役割は、国の基たる憲法のあり方について、論をあらゆる角度から多重に尽くし、その是非をただすことだ」と「社説」。「憲法のありかた」とは? 現実が憲法からみてどうなのか、合憲なのか違憲なのか、憲法実現に遠いのか近づいているか、日々の事象を報道する、論評する視角は憲法が規準になるべきであろう。憲法はどうあるべきかでなく、現実は憲法に照らしてどう改めるべきかを考える場を読者に提供すべきではないのか。憲法尊重・擁護の義務を負う人・機関が義務を果しているかを新聞は「ただす」ことだ。

        2012・5・4  須田 稔
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ヒロシマ・ナガサキ・ビキニから学ばずフクシマからも学ばぬとは 人間ですか

2012/05/02 23:06
強欲で肥満の独占企業だから傲慢なのか
安全でないのに安全だと言い張るのは
似而非学者だから思考が散漫だからか
事故が起きても対策が遅いのは怠慢だからか
危険が充満し不安と不満が渦巻いているのに
漫然としていて欺瞞だけは続ける政府と業界

どうするのだ アメリカとの従属的同盟
戦争中毒国家・世界最大の暴力調達人国家
このアメリカも原子力発電所みたいに危険
日本の歴代政府は病原菌アメリカの慢性中毒
万言を費やしても馬耳東風なほど慢心
主権者人民を瞞着しておいて民主主義を説く

愛国心で美しい国を、などと主権者に強く迫る政治家が、原発稼働で、加えて原発事故ですでに作業者のいのちを奪い 又は奪いつつそして内部被曝で子供らを殺めるかもしれずが、核エネルギー関与者は「安全」を言い募る利潤莫大、脅迫の効果抜群、だから棄民

人民ヲ殺ス、人民ヲ殺スハ己ノ身体ニ刃ヲ当テルト同ジコトデアルト云フコトヲ知ラナイ、自分ノ大切ナル人民ヲ自分ノ手ニ掛ケテ殺スト云フに至ッテハモウ極度デ、是デ国ガ亡ビタト言ハナイデ、ドウスルモノデゴザイマス、

 これは、近代日本の最初の公害と言われる足尾銅山鉱毒事件を追及する際、衆院議員田中正造が、一九〇〇年(明治三十三年)、政府に浴びせた質問の一節だ。人民を殺す政治は亡国に至る。人民主権・人間尊重の凛然の宣言だ。

 5月2日付『赤旗』の「朝の風」。戦前、特高警察とも連絡しながら岡野正道が創始した孝道教団が4月8日、脱原発を求める声明「原子力発電に頼らないいのちを尊ぶ社会の実現にむけて」を発表したと。また、「かつては反動的「国民運動」の中核で、現憲法の破棄と明示憲法の復元を主張していた生長の家」が、3・11以後、「脱原発の姿勢を示していたが、3月発行の谷口雅宣総裁の著作「次世代への決断―宗教者が“脱原発”を決めた理由」で、これをより明確にし、教化誌でも特集を組み、教団内外に訴えている」と紹介。「原発ゼロをめざす諸階層とのむすびつきを強める秋(とき)である」と締めくくる。

 特高との親密な関係を深く自己批判したのか、現憲法破棄・明治憲法復元は誤りと認めて撤回したのか、そこの説明抜きで原発ゼロをめざす読者に、これら教団との連帯を呼びかけるのは拙速で間違いではないか。
 そして、60年安保闘争で経験したが、国民的規模で運動が高揚すると、決まって右翼と極左暴力集団・トロツキストが跳梁跋扈するのだ。真正の国民運動を分断すべく国家権力に飼育されて妄動するのだ。これら二つの宗教団体がエセ「脱原発」で宗教界を撹乱しようとしているのか否か、冷徹に見極める必要が大いにあるのではないか。橋下が当初の脱原発のかけ声から、最近は再稼働容認か節電・料金値上げに我慢するかの選択を市民に迫る論調に変わったことも見逃せない。大衆迎合で権力維持というポピュリズムはファシズムに転化し、真正の統一戦線運動とは異なるのだ。『しんぶん赤旗』の「朝の風」執筆者は、僕だけでなく多くの読者が抱く右のような疑問に答えるべきだろう。

 大集会で「革命的共産主義者同盟」や「全日本学生自治会総連合」と明記するビラが配られた。東京でも京都でも手にしたことがある。
非暴力に徹すること、他団体・特定個人を中傷誹謗しないこと。この約束を守れば一致点で共同の運動は進めるべきだと思うのだが。

        2012/5/2  須田  稔
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日本ヴェトナム友好協会の1970年以来の会員として思うこと

2012/04/30 23:00
日に開催される。機関紙は4月15日付で号外・全国総会特集号を発行した。
 呼びかけ文があり、議案は、「日本とベトナムをめぐる情勢」、「二〇一一年度活動報告」、「二〇一二年度活動方針」、「友好運動が追求する日越関係」を柱としている。
 日本政府が原発をヴェトナムに輸出する計画があると知ったとき、越日協会には日本人民の原発ゼロを希求する運動を認識してもらいたいと伝えることが、真正の友好運動であろうと、ぼくは日ベト協会に要望した。国際友好運動のあり方を初めて深刻に考え始めたのだ。総会議案に「友好運動が追求する日越関係」が起案されたのは初めてではないだろうか。

 議案書に使用された語句を分類してみた。
@「日本とベトナム(の)関係」4回。「日越関係」2回。
A「ベトナム日本友好協会」(3回)。「友好協会などの組織間の関係」(1回)。
B「ベトナム政府との関係のあり方」(1回)。「日本とベトナムの国家間関係」(1回)。「政府レベルだけでなく民間レベルの」(1回)。
C「国民レベルの友情」、「国民レベルの友好運動」、「国民レベルの共感」、「両国国民の友好関係」、「ヒトとヒトとの関係」(計5回)。
 つまり、政府、協会、民間・国民の3層での友好関係を構築しようというのである。いわば全方位外交である。両国のそれぞれが友好的である場合もあれば、政府間の関係が決して友好的とはいえない場合もあるだろう。後者の場合でも、人民レベルの友好運動は可能だろうが、困難もあるだろう。

 日中や日朝やユーラシアなどの友好運動組織があるけれど、京都での運動を見ると、おおむね民間・国民レベルの交流・相互理解だけが目的だという印象をもつのだ。規約を知らないから誤解かもしれない。

 ヴェトナム政府が日本から原発を輸入したがっていることについて、ぼくは、そんな事はよしなさいよ、チェルノブイリがあったでしょ、日本人民はヒロシマ・ナガサキ・ビキニの被曝体験に次いで、こんどはフクシマでは自国民と他国民に対する核加害者に成り果てたのです。67年前、58年前に襲われて今なお被曝の苦痛と不安と闘っているヒバクシャに加えて、外部被曝の犠牲者を生み内部被曝の犠牲者の数は予測がつかないほど膨大になるかもしれないのです。核エネルギーは人類の制御がおよばない、つまり共存不可能なもの。核兵器と原発
は双子なのです、どちらも廃絶すべきなのです。
 アメリカのエージェント・オレンジ=枯葉作戦の被害者を再び作ってはならぬと同じように、ヒバクシャをこれ以上つくるのは許せないです。日本人民のこの切望、この希求を理解してください。原発は輸入も製造もやめてください。「抗核救民」で核のないアジアをめざしましょう。
 このように、ベトナム政府に言いたいのだ。越日協会にも、在日ヴェトナム人にも、このことを誠実に伝えたいのだ。
 日本ベトナム友好協会が全国総会議案書で、原発の輸出・輸入問題を重大な問題と捉えている。友好関係の継続発展の上で避けては通れない。「まさかの時の友は真の友」なのだ。
 原発という特定の問題で両国はいわば友好的なのだが、日本人民として両国の合意・相互協力は絶対に承認しない。こういう事態は例外的ではないのかもしれない。越日友好協会がヴェトナム政府を支持してやまない場合は、日ベト友好協会は、断交せざるをえない。人類的課題で普遍的人道に徹すべきなのだ。

       2012・4・30 須田  稔
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騙す側の責任 騙される側の責任

2012/04/28 22:55
 「騙される方もバカだ」。儲け話を信用して、そのうち詐欺だったと分かって何十万、何百万円も損した人がいたり、オレオレ詐欺でなけなしの貯金をはたいた高齢者がいたりすると、バカだよ、と冷笑する僕だ。
 中学2年生の夏まで「不敗神話」を信じて天皇陛下のために「名誉の戦死」で「盡忠報國」するぞと生きていた僕は、「騙されていた」ことが口惜しかった。愚鈍少年になるよう教育してきた教師・学校教育・教育勅語・天皇制軍国主義を恨む一方で、これからは騙されないぞと誓ったものだ。が原発の「安全神話」にまたまた騙されてきたのだ。だから、被曝した人たち、その不安が拭えない人たちにたいして、一種の罪責意識が僕にはある。無知と無関心を詫びなければならないという気持ちでいるのだ。

 東電の原発事故のあと、政府と東電の無責任は持続した。
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「絆で再生」と言う時の「絆」とは?

2012/04/27 14:14
 東京社会部の市川明代記者が、4月25日の「記者の目」で、「東京で聞く「絆で再生」に違和感」を綴り、「東京一極集中が問われている」と論じた。
 長い歳月、東北は辺境の地であるばかりか、エミシ=蝦夷の住む異郷とみなされてきた。中央政府の冷酷な政治から身を守る防御・抵抗のために「絆」が紡がれた。まさしく、「「絆」は地方が生き残るための手段でもあった」。だから、東京一極集中の政治を改めなければ東北の再生はない、というのは理屈に合う。

 ところで、東京一極集中の政治の根本的な欠陥は何でしょう。「被災地目線の新たな政策モデルを作るぐらいの発想が必要だ」とお書きです。「被災地目線の政策」を私はこう考えるのです。
 それは、日本国憲法の前文と、とりわけ第2章「戦争の放棄」と第3章「国民の権利及び義務」の実現に努力する政治こそが、被災住民に寄り添う政治だと。東京一極集中の政治とは、言い換えると、米国政府と日本財界の利益を最優先する政治です。
 だから、そのような政治の犠牲になってきたのが、特に東北であり、沖縄であり、過疎の農山漁村なのです。原発・軍事基地という危険物を設置する代償に交付金をあれこれの名目をつけて配分する。まあ、粉飾した奴隷制度ですね。主権在民とはほど遠い政治実態です。ムチで痛めつけるが、アメもしゃぶらせる。そして痛みをいっとき忘れさせる。どころか、アメ中毒にさせムチを欲しがらせる。非人間的な悪逆を本性とする施設のおかげで暮らせるが、人間の倫理は萎縮しかねない

 東北の「絆」が、日本国憲法の理念や条文の実現を東京に鋭く粘り強く要求しつづけるかが、日本全体の再生に無視できない要因になるだろう。日本は今、深層崩壊の途上にあるのだろう。広範囲で放射能の内部被曝が心配されるし、巨大地震・巨大津波・原発の過酷事故が想定されるのに加えて、TPP、消費税増税、民意と議会の乖離を促進させる比例定数削減など、憲法蹂躙・違反の政治が継続的に強行されようとしている。「恐怖と欠乏から免れて」「平和のうちに生存する権利」が脅かされている。つまり、人間の尊厳が剥奪される状況は深層崩壊というほかない。

 詐術と欺瞞の政治が続いて、いま人民は閉塞感に襲われている。
 原発事故を「想定外」と呼んだのは、「安全神話」を正当化するためだった。
 原子力委員会の文書がある。「原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめやすについて」だ。64年5月27日決定。89年3月27日一部改訂。重大事故が起きて放射線障害を与える可能性のある範囲は「非居住区域」、其の外側の地帯は「低人口地帯」であること、「人口密集地帯から離れていること」が立地条件だった。
 人口稠密な「中央」と過疎の「辺境」との差別。これを覆い隠す役割の「安全神話」。これが崩壊するや「想定外」という言葉の濫発。「再稼動なければ停電・料金値上げ」の脅迫。悪知恵の才気煥発は果てない。

 住民の真正の「絆」とは、日本国憲法に明記される「主権」者として、感じ想像し考え行動し発言する、そういう自律と自立と自主が交じり合いぶつかり合いして紡がれる連帯と協働だろう。「同じ時代をともに生きる 親しさとおかしさと そうして怒りが 鋭い力となってたちあらわれる」と茨木のり子さんの詩。「絆」はどのようにして形成されると市川昭代記者はお考えになりますか。

      2012・4・27   須田  稔
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責任は、やはり、所在をはっきりさせねば

2012/04/22 22:14
 安斎育郎先生も小出裕章先生も、原発震災に触れ原発に替わる電気エネルギーへの転換を訴えるときに、福島第1原発の過酷事故を防げなかったご自分の非力を詫びられるのだが、「安全神話」の欺瞞を暴露し、原発推進に警告を発し続けてきたがために、昇格も昇給も否認され、研究条件を保障されず、講演を尾行されるなど、学問研究の世界で在ってはならない基本的自由が公然と侵害され蹂躙される迫害を受けてきた良心的研究者が、なぜ、忸怩たる想いを噛まなければいけないか。
 福島第1原発の事故について、東京電力も政府も、歴代政権を担った自民党も、電力業界も重工業界も大銀行も、誘致を懇願した自治体も、五四基も敷設してきた政策を容認してきたマスメディアも、どこも、責任を自己批判し国民に謝罪することをしていない。
 終戦の詔勅を放送で読み上げた天皇に、「申し訳ありません、私たち臣民の力が足らずで」と涙した人びとが少なくなかったようだが、「責任」は原因を作った側にはなくて、家族を殺され家を失い仕事を失い地域=故郷を奪われた人びとの側にあるなどという、とてつもない感覚、理屈に合わない逆転の意識、責任転嫁が何故起きるのか。
 「一億総懺悔」は責任の所在を隠蔽する呪文なのだ。加害者も被害者もともに「痛み」を分かち合うのが、称賛すべき博愛か。唾棄すべき偽善ではないのか。兇悪犯罪者免責の呪文。

それでも、無知蒙昧は罪深いのだ
 昨日4月21日、非核の政府を求める京都の会が、第26回定期総会と結成25周年記念のつどいを開催した。V部のレセプションを終えて全体の閉会挨拶で望田幸男代表世話人は、いつものように鋭い問題提起をおこなった。
 「日本で非核の政府を求める会が創立したのは1986年5月19日。チェルノブイリ事故は86年4月26日に起きていたが、会の実現目標に原子力発電廃止は入っていなかった」と。 
実現をめざす「非核5項目」は、@核戦争防止・核兵器廃絶A非核3原則の元首B日本の核戦場化への全ての措置の阻止C国家補償よるヒバクシャ援護法の制定D原水爆禁止世界大会のこれまでの合意に基づく国際連帯の強化。

 日本での過去の大きな事故に、1989年1月6日、東京電力福島第2原発3号機の再循環ポンプ破損事故、91年2月9日、関西電力美浜原発2号機の蒸気発生器細管一本の完全破断。95年12月8日、高速増殖原型炉もんじゅのナトリウム火災事故。97年3月11日、東海村の再処理施設の放射性廃棄物アスファルト固化施設の火災・爆発事故。99年9月30日の東海村JCOの臨界事故など、チェルノブイリ事故以後でも、これ程あった。

 99年のJCOの臨界事故にたいして、例えば「核兵器廃絶・核戦争阻止 東京医師・歯科医師・医学者の会」が99年10月13日に声明を出していた。
 原子力委員会と原子力安全委員会は国民に謝罪せず責任を果たし得ない機関であると分かった。「制御しえない原子力の危険性を熟知している我々には、この無法状態を即刻停止させる社会的責任がある。当面、もっとも危険なプルサーマル計画を即時断念させなければならない。・・・原子力テクノロジー安全性の主張は基本的な誤謬である。日本で、これまでの経験からは予想不可能な人為的ミスが今後も出現することが確実である。核施設事故が地球的打撃になることはチェルノブイリ災害によって証明されている。・・・原子力依存の現状維持は人類の自殺行為である。・・・核アレルギーこそは正常な人間の感覚である。・・・」
 なぜ、この良識の警告が広がらなかったのか。

      2012/4/22  須田 稔
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幻想していなかったから幻滅はしないが希望をもってきたから絶望しそうなのだ

2012/04/20 22:56
 福井県原子力安全専門委員会の12人中に、関西電力や三菱重工などから献金を受け、「利益相反」の疑いある5人が含まれていて、総額は1490万円という。
 16日に記載したが、原子力安全委員会内の安全専門審査会の委員62人中10人を出している日本原子力研究開発機構に対して、電力十一社と電事連が平成20〜23年度に計二億五千万円を寄付していた。
 18日に記載したが、3・11以後の一年間に東電は顧問に1人月平均月額九十万円の報酬を支給、総額は一億五千六百万円。

 炉も格納容器も立地・設計・稼働の全過程で確実に安全であり、万一事故が起きても、放射能汚染・放射線被曝は絶対に起こさない、使用済み核燃料の処分は未来永劫にわたって生命体・大気・大地・水を汚染しない方策がある、と言えるのか。言えないのだ。核エネルギーと人類は共存できないのだ。
 危険というムチが想定できるからこそ、「安全でクリーン」と大宣伝し、過疎地の海辺に、しかも立地の市町村には多額の交付金や寄付金というアメを湯水の如く注入して、原発中毒症に罹患させてきた電力業界と重工業界。

 日米同盟教に帰依して「原子力の平和利用」を信奉してきた60年。サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の枷を解体せよと決断すれば一年後に自尊と自律の主体になれるのに、戦争中毒・暴力至上主義の米国に追随する木偶の坊政府だった。ヒロシマもナガサキもビキニも米国の犯罪で、日本人民は被害者なのに、米国に面と向かって核兵器を禁止せよともよう言わずにきた。
 4月20日の「発信箱」で冠木雅夫記者は、「ホブソンの選択」という無名塾の全国巡演を話題にして、「えり好みできない選択」を迫る米国と受け入れる日本という戦後の構図を指摘した。両条約発効から60年の4月28日。沖縄施政権返還から40年の5月15日。
 「沖縄の苦境は・・・今も続いている」と書くのだが、「日米同盟が日本外交の基軸であることは当然」とか、日本が選択肢を米国に提示した例がないだろうに「もっと示していった方がいい」とか、「靴屋ホブソンの娘のように、おやじと立場を逆転させるほど強くなる必要はないが」卑屈なのか謙虚なのか分からない言葉遣いに、幻滅してしまうのだ。

 今日4月20日で50年になると、加藤小夜記者の、故森滝市郎・広島大学名誉教授の闘いを顕彰する記事の「発信力」は冠木記者のそれの数倍はある。
 森滝さんは56年の日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の結成に尽力し結成大会宣言を起草した。核の平和利用を肯定していた。しかし、ウラン採掘地の住民や原発労働者の放射線被曝を知り、75年の原水禁大会で「核の絶対否定」を唱えた。
 62年、米ソの核実験に抗議して広島・平和祈念公園で座り込みを始めたのが4月20日だったのだ。
 今年3月11日、広島での脱原発集会荷役2000人が集まり、あるヒバクシャ団体代表は初めて「原発ノー」を明言した。「核と人類は共存できない」と覚醒した人は多い。だが、この認識が「脚光を浴びている」と加藤小夜記者は書くが、「じわり広がっている」、「福島事故で脚光」は「福島事故で覚醒」、としたい。
 小さい記事だが、日本商工会議所が19日経産省に提出した意見書で「将来的には廃炉を進めて原発依存を縮小すべき」と、これまでの原発推進の立場を転換したとある。希望が見えるようでうれしい。

       2012/4/20  須田 稔
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「思い切って廃炉決断を」

2012/04/18 22:51
 標題は、今日4月17日の『毎日新聞』の「社説」の論題です。爽快です。明快です。
 「福島第1原発の重大事故で明らかになったのは、日本全国どの原発にも危険性が在ることである。」
 「浜岡原発の場合には、誰にもわかる明らかなリスクがある。まず、想定される巨大地震の震源域の真上に建っていることだ。加えて、事故を起こした場合の社会的影響があまりに甚大である点だ。」
 「浜岡原発が争点となった御前崎市長選では、再稼働の是非について態度を保留した現職が再選された。再稼働拒否などを主張した新人への支持が広がらなかった背景には廃炉が地域経済に与える打撃への不安がある。
 しかし、原発事故こそ地域経済を破綻させることは福島の事故が実証している。」

 フクシマから学ぶべきこと、学んだこと、これが簡潔に述べられています。共感します。
 ただ、最後の語句「英断に期待したい」が気になります。助詞「に」がです。若者に期待、政府に期待、ユネスコに期待、と書くのですが、
たとえば、「彼の決意に期待」、とは、彼が決意した其の中身が実現するよう期待する、ということではないか。「彼女の快諾を期待」、これは彼女が快諾してくれるといいのだがと心待ちにしている意味ですね。「彼女の快諾に期待」とは、快諾してくれた内容と其の実現を期待するという意味になると私は考えるのです。結論を申せば、ここは「英断を期待したい」と言うべきではないかということです。加えれば、誰の英断を期待するのかを明示すべきですね。

 17日夕刊は、京都・滋賀の知事が共同提言を発表したと報じた。第3者委員会による電力需給状況の点検。福島原発事故の詳細なデータ公表。原因の徹底解明と透明性の確保。福島原発事故被害者の徹底救済と福井県への配慮など。7項目にわたる。
 18日の「みんなの広場」で東京の会社員が書いたように、事故と事故収束の責任が、政府お東京電力・電事連ほか関与の大企業にあることが、いまもって明言されていない。

 18日の報道で、こんなことをしているとはと怒り心頭に発するのは、大飯原発再稼働についての首相と経産相・原発事故担当相・官房長官・官房副長官・民主党政調会長代行の6人の協議は議事録をのこさないという、公文書管理法違反を敢行したこと。
 もう一つは、3・11以降今年3月まで、東電は有給顧問26人に、1人平均月額約90万円の報酬を支給していたことが、政府の答弁書で判明したという。一年で総額1億5600万円。被災者には補償金額を事由を明細に書いたうえで申請させる一方で、非常識にもこれほど多額の顧問料とは。
 犯罪と呼ぶべき大事故の共同正犯である顧問は、平然と受け取ってきたのか。社会的責任など毫も気にしないのか、あきれ果てる。

 関電高浜原発4基を抱える福井県高浜町で、17日告示の町長選挙は、現職が無投票で再選。
脱原発を訴える候補者がいなかった。
 一般会計当初予算約70億円のうち、原発関連収入は6割。経済的に影響が及ぶ町民は6〜7割。「不安を抱きながらも原発に頼らざるを得ないというのが町の現状」とある町議は言うらしいが、原発中毒症なのだ。イノチよりカネなのだ。イノチが危ないというのに。
 
 『方丈記』を借りると、「人の営み、皆愚かなる中に、さしも危うき原子力発電所をつくるとて、巨費を費やし、体を損なうことは、すぐれてあじきなくぞはべる」。

       2012/4/18  須田  稔
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つまりは強欲が 強欲を満たす仕組みが巧妙に構築されていることがこれに無知で無関心でいることが

2012/04/16 22:44
つまりは強欲が 強欲を満たす仕組みが
 巧妙に構築されていることが 
  これに無知で無関心でいることが
   人間世界の悲惨を招いているのです


 4月16日付『毎日』の「風知草」に山田孝男氏が「「ウソの片棒」問答」をお書きだ。民主と自民の党首討論の「核心」に触れる語句らしい。低劣な問答で、「情けない」と思う。
 主権者国民の生命と暮らしが、とりわけ若者の未来が、危機的状況にあるのに、「怠惰に行く」号は舵取りに見識なく、奈落に進む羅針盤しか持ち合わせないような体たらくなのだ。

 遅まきながら、4月3日付「msn産経ニュース」を見た。「原発の安全審査に多くの委員を出している日本原子力研究開発機構[茨城県東海村]に対し、原発を持つ電力11社と業界団体の電気事業連合会が平成20〜23年度に計2億5千万円余を寄付していた事が、2日、
同機構への取材で分かった。
 機構は原子力安全委員会内の「安全専門審査会」で審査に当たる委員計62人中10人を出していて、「寄付が審査を形骸化させているのではないか」との批判が出ている。電事連は「先方から依頼されたもので、研究開発や人材育成の支援が目的だ」としている。」

 関連記事。1月6日発。「高速増殖炉「もんじゅ」を運営する日本原子力研究開発機構の鈴木篤之理事長は6日、高速増殖炉について「ナトリウム漏れが起きないと思うほうがおかしい。世界では確認できるだけで100回以上事故があった。漏れた際、設計通り安全機器が作動し運転員が対応できるかが技術だ」と語った。

 いやはや なんとも こういう安全感覚!科学者の社会的責任など一抹も念頭をよぎらないのだろう。恐ろしい国に生きているのだ。
 「風知草」の下に、1冊の本だけとしては稀なスペースの広告。「「騙されたあなたにも責任がある 脱原発の真実」。著者は小出裕章先生。
「政府・保安院・東電の隠された大罪を信念の科学者が告発」。「この国に、もはや安全な食べ物はない。原発即時全停止しても電力不足にはならない。次なる放射能拡散の危機が迫る」。
「広島原爆の100発分を超える放射性物質が放出された?」。「2号機、3号機には、未だ水蒸気爆発の危険が残る?」。などなど、
 「安全神話」が崩れると、「安心神話」で「電力不足神話」で「再稼動必要神話」。小出先生を僕は信頼している。原子力利益共同体の巨大な圧力にひれ伏すことなく警告を発し続けた人。良心的兵役拒否を貫いた先達を思う。

 報道写真家・樋口健二氏の講演を聴いた。ご著書の一つ『原発被曝列島』を購入した。
 「原発は事故を起こさなくても危険であり、使用済み核燃料は、置き場のないほど大量に溜まってしまっている。廃炉にすること以外に原発に対する冷静な対応はないことを誰もが理解できるはずだ」。
 「三井、東芝。日立、三菱重工と、原発を生産しつづけることを至上命令としたモンスターに対して、いまこそ「原発はいらない」の声と行動の波を次々と起こしていかねば、この国の子どもたちにも未来がないことは明らかである」。
 帯に「現代科学の粋を集めたという原発の労働現場は今も昔も変わらず、労働者の被曝なしには、日常的な稼動も出来ない代物だ!」。

 朝鮮が「人口衛星」と称する飛翔体を「ミサイルだ」と決め付けて、迎撃して撃ち落とすとして沖縄初め各地に「臨戦態勢」を敷いたことに異を唱えるなり疑問を呈するマスメディアはなかった。日本国憲法蹂躪で、無法者国家になることを黙視している怖さ!

       2012・4・16  須田 稔
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ヒロシマ・ナガサキ・ビキニのヒバクシャの  慟哭と悲願を知らないのは 政治屋だ

2012/04/15 22:49
 坪井直さん、86歳。約2000人に力強く語りかけた。
 「我々が幸せに生きるためには、原発なんて要りません。核の被害に遭った私たちはやめさせる権利もあるし、義務もあります」。
 丁度一年目の3・11、ヒロシマ市内の公園での、脱原発を訴える集会の壇上で、ヒロシマ県被団協の理事長の坪井さんは、昨秋、「谷本清平和賞」を受賞した。貧血・狭心症・大腸癌・前立腺癌に次々に襲われながらも、寒風の中、闘いを続ける決意に背筋を伸ばすのだった。
 4月15日付『毎日』の「‘12春ヒバクシャ 広島 長崎」の記事を、野田首相や枝野経産相や大臣諸氏や官僚幹部や斑目委員長以下の原子力安全委員会の委員諸氏は読むのだろうか。
 ヒバクシャは私を最後にしてほしい、ノー・モア・ヒロシマズ、ノー・モア・ナガサキズ、ノー・モア・ビキニズは、ウラン鉱山の採掘労働者、核実験場周辺住民、原発作業員たち、スリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故、そのほか何十件という事故の被害者数百万人の絶叫なのだ。  
 「唯一の被爆国」と自称しながら、自国のヒバクシャをヒバクシャと認定するのを渋る政府。核兵器の使用・実験・開発というアメリカの非人道的犯罪を免罪するためにあくせくするばかりの日本政府。
 だから、原発は安全、次いで、事故は収束、次いで、再稼働よし、という神話の創作だけは巧妙で達者なのだ。いわば、詐欺術・欺瞞術のプロ集団。そして、1%の強欲富裕集団の利益を擁護するために、99%には「生かさず殺さず」の棄民政治。

 15日の『毎日』の「社説」は、「大飯原発再稼働」を論じて「理解に苦しむ政治判断」と、妥当な批判を述べている。「福島第1原発の「事故の検証が終わっていない」、「原発推進を担ってきた組織の『言い値』を鵜呑みにはできない」、「抑も、再稼働の手続きが、原発の『安全神話』を醸成してきた組織と体制によって進められていること自体がおかしい」と。

 「論説室から」の委員長・倉重篤郎氏の言葉は、「毎日新聞は再稼働を否定するものではない」である。「要は、原子力行政への信頼回復だ。旧態依然の体制(原子力安全・保安院、斑目春樹原子力安全委員長)でいいわけがない」と。では、この体制が一新されれば、再稼働も可能だし許容できる、というのか。
 「社説」も、要は組織と体制だと言うのか。原発を推進する組織と体制なのか。原発の是非を徹底的に究明する組織と体制なのか。何のための組織と体制なのかが、曖昧だ。「社説」は、『読売』や『産経』とたいして違わないのか。
 枝野経産相が福井県知事との会談では「原発は重要」と言いながら、会談後に「原発依存からの脱却が政府の方針」と発言。横山三加子・畠山哲朗両記者は「発言に食い違いが生じた」と書く。「ぶれる経産相発言」とある。揺れ動いて、真意がぼやける。意図的かもしれない。「目眩ましの術」なのかも。

 重大なのは、福島原発事故は、今も原子炉内部の状態が正確に把握できず、放射性物質の汚染された冷却水が漏れる事故が多発、16万人が避難生活を強いられていて、家族と地域社会の崩壊が進行中という、残酷な事態。汚染された土や物の処理、使用済み核燃料の処理方法さえ見通しが立たないのだ。

 原発に依存しない電源を如何に確保するか、節電の取り組みをどう立案するか。『毎日』はヒバクシャと避難民の慟哭と悲願を聴け。

     2012/4/15    須田 稔
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問題提起に賛同しますが 発生源の除去は?

2012/04/14 00:54
 大治朋子記者、先日の「発信箱」の「アイクの言葉」に拍手したのですが、今日13日の「記者の目」、これ大治さんの論考? と困惑。

 米軍普天間飛行場に「隣接する宜野湾市立普天間第二小学校の騒音実態は、詳しくは知られていない」として、琉球大学工学部の渡嘉敷健准教授による教室内騒音の測定結果・記者自身の実地体験・文部科学省が定める一般的な検査基準や米国環境保護局が示す「言葉の理解と騒音レベルの関係性」の指摘・文科省の「学校環境衛生管理マニュアル・世界保健機関WHOの環境騒音ガイドライン・京都大学の松井利仁准教授による調査報告書と米国大学教授の見解など、入手可能な資料の多数を調べ、関係する行政当局者や大学教員にも取材するという、丁寧な作業を経てまとめた論考である。

 そして、こどもたちの心身の健全な発達、人格の豊かな成長こそが政治の責任で守られねばならないという熱情が伝わる論考である。
 結語を引用しておきたい。
 「騒音は自律神経系や内分泌系、循環器系、消化器系に影響を及ぼす恐れがあることは、医学的にも広く認識されている。教育行政の担当者は、子供や教諭らへの聞き取りなどを通じ、埋もれがちな声を拾い上げ、普天間飛行場周辺の子供たちが置かれている騒音問題の正確な実態把握に努め、その上で、適切な防護策を講じるべきだ。」 ところが、私は読後爽快になれないのだ。
 騒音問題が深刻だということは、ここ数年来の話題ではない。専門研究者による実地調査・実態把握は、記者の文章に年月日の記載がないから困るが、何年前から行われてきただろう。だから、窓をお二重ガラスにするなどはなされてきたのだろう。
 それでも大治記者が明らかにしている実態が今なお在るとなると、明らかに行政=文部科学省の怠慢を責めるべきだろう。
 しかし、記者は、事態がまるでここ一ヵ月
以内に発生したかのように、教育行政当局を責めていないのである。なぜなのか?

 もう一つ。これが基本的な問題です、大治さん。由々しい騒音に対する防護策を万全にせよ、と文科省に強く要求するのはそれとした正しいことだし当然すぎる要求ですね。
 しかし、騒音発生源の除去は要求しない、というのでは、思考は正常でないのではと疑ってしまいます。

 主として福島の人びと、とりわけ子どもたちの外部被曝と内部被曝を防護するために、万全の防護策を講じるべきなのに、政府も東電も鈍重がすぎますね。人命尊重意識が大方欠落しているのかと腹立たしいのです。
 それでいて、再稼働だけは急ぐ。電力業界や財界に屈従しているからでしょう。そう推測するほかありません。福島第1原発の事故原因も未だ究明できておらず、危機的事態の発生が今なお懸念されているのにです。

 原発は廃炉をめざすべきでしょう。それと同じではありませんか。米軍普天間基地が深刻な騒音被害の発生源なのですから、これを撤去することです。対症療法ではダメです。加えて、教室内だけの問題ではないのです。
 普天間基地の維持は「米国の経済活動の一環でもある」、のは事実でしょうが、米国のカネのために日本の沖縄の人びとのイノチが犠牲になっている状態は、一日も早く終わらせないといけないです。
 癌に膏薬、は愚かしいですよ。米軍基地も原発も同じ構造的問題ですね。

       2012/4/13  須田 稔
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