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『毎日新聞』の紙面を評価する――2012年1月21日付を読んで

2012/01/21 22:14
 11月から著作出版・進呈発送作業・忘年会・賀状返信・新年会などで忙殺されて、『毎日』への通信は2ヵ月ぶりか。
 今日の傑作は8面「経世済民術」の「このマニフェストがひどい」。なぜか泥鰌でなくてアイマスクしたタヌキか猫の絵もカラー刷りで、「民主党の政権公約」が7項目並べられて、末尾に青地の丸に「ウソ」という白抜きの文字が配されたマンガだ。その7項目は、「国民の生活が第一」、「「沖縄基地、最低でも県外」、「高速道路無料化」、「子ども手当26000円支給」、「コンクリートから人へ」、「天下りを許さない」、「政権交代が最大の景気対策です」。

 9面の「オピニオン」。「KEY PERSON INTERVIEW 急接近」は、細野豪志・環境相兼原発事故担当相に訊いている。ここで大いに不満なのだ。
 「これまでの事故対応をどう見ているか」、「事故収束」宣言のタイミングは適切だったか」、「中間貯蔵施設で地元の理解をどう進めるか」、「貯蔵期間30年以内は保証できるのか」、「帰還困難区域と放射線量・土地の買い取りの錯綜課題」、「避難指示解除準備区域の帰還可能時期」、「菅政権と野田政権の最大の違い」を笈田直樹記者は訊くが、何をもって『収束』と断定できるのか・原発事故原因の究明・計画および監督の責任と謝罪の表明・放射能被曝(体内も含めて)の被害者救済・原発廃炉・エネルギー政策転換か再稼働・海外輸出か、などについては訊かないでいる。

 11面の「メディア時評」で文筆家・若松英輔氏が「新型インフルエンザ」報道に「人間の視座を」と論じている。「政府にも報道にも、中核の問題であるはずの「生命」をとらえようとする視座が欠落いている。「生命」は誰にも平等に存在している」と書く。
 常々思うのだが、マス・メディアが報道や論評の視座に据えるべきは日本国憲法の人権尊重の原理であろう。前文に「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とあることを、いまや完全に忘却の彼方に追いやり、日米同盟を「国際的公共財」などと崇めて、これを言説と報道の視座においているのではないか、と疑いたくなる近年なのだ。若松氏の警鐘を傾聴せよ。

5面に「孤立の岡田氏トーンダウン」。1月15日のNHK番組だ「国会議員歳費と政党交付金の削減も課題だ」と意見したことに与野党内からの風当たりが強く、腰砕けになったとのこと。
 年に300億円を超える政党助成金を憲法違反として受け取らずに来たのは日本共産党だけ。削減でなく廃止すべしとメディアはなぜ主張しないのか。歳費の削減に反対して、議員定数の、しかも民意反映システムとして小選挙区制よりはるかに優れた比例代表制による定数の方を大幅に減らそうとしている民主・自民・公明の諸党をなぜ厳しく批判しないのか。
 「生命の尊重」が視座なら、軍事費の大幅削減を声を大にして叫ぶべきではないか。

 1面と7面に、1940年代後半、梅毒や淋病の人体実験モルモットにされたグアテマラの元兵士たちへのオバマ政権の賠償問題があるとの報道。原爆投下も枯葉剤作戦も無人機爆撃も、未臨界核実験続行も、米国の「生命軽視」政治・人道無視政治症候群だ。

       2012/1/21   須田 稔
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ならず者国家イスラエルよ

2011/12/02 20:11
 「ボイコットの呼びかけに賛同を」 訳・須田稔

 「イスラエルを学術・文化分野でボイコットする合州国キャンペーン」(US Campaign for the Academic & Cultural Boycott of Israel)なる運動組織があることを、今日12月1日知った。
 イスラエルに抗議してボイコット・投資撤収・経済制裁の運動に参加してほしいというパレスチナ市民社会=イスラエルを学術・文化分野でボイコットするパレスチナ人キャンペーン(PACBI)の要請に応えて、特に学術・文化機関のボイコットに焦点をあてる米国内運動組織なのだ。
このPACBIの文書に記されていること。
・イスラエルの絶えることなき国際法違反に照らして、
・1948年以来の国連の何百もの決議が、イスラエルの植民地主義的差別的政策が不法であり、直ちに適切かつ効果的な矯正策が必要であるとして、非難してきたことに鑑み、
・あらゆる形態の国際的介入と和平醸成が、これまでイスラエルに人道的法を守らせ、基本的人権を尊重させ、パレスチナ人民に対する占領と抑圧を終わらせることに失敗してきた事実に鑑み、
・国際社会の良心的人民が、南アフリカでボイコット・投資撤収・経済制裁など多様な形態でアパルトヘイトを廃絶した闘いに範を見て歴史的に不正義と闘う道徳的責務を担ってきた事実からして、
・南アフリカ人民のアパルトヘイト反対の闘いに鼓舞され、国際連帯と道義的節操、不正義と抑圧にたいするレジスタンスの精神から、
・われわれパレスチナの市民社会の代表は、国際市民社会の諸団体と世界中の良心ある人々に呼びかける。アパルトヘイト時代の南アフリカに対して実行されたと同様の、広範なボイコット・投資撤収をイスラエルに対して実行するようにと、
・みなさんに訴える。みなさん方それぞれの国家に圧力をかけて、イスラエルに対する輸出入禁止と経済制裁を行わせてほしい。
・われわれはまた、良心的イスラエル人民がこの呼びかけを、正義と純正な平和のために支持してほしいと訴えるものだ。

 これら非暴力的懲罰措置は、イスラエルがパレスチナ人民の不可侵の民族自決権を承認すべき責務を果たし、国際法の規則を遵守するまで維持すべきものである。
 すなわち、1.すべてのアラブ人の土地に対する占領と植民地化をやめ、壁を取り壊すこと。2.アラブ系パレスチナ市民が、完全に平等である基本的権利を承認すること。3.国連決議194号に明記されているように、パレスチナ人難民が自分の家屋と資産に帰還できる権利を尊重し擁護し推進すること。
     ・・・・・ ・・・・・
 われわれはイスラエルの3重の不正義と抑圧―1)1967年に占領されたパレスチナ人の領土の占領と植民地化。2)難民の権利、とりわけ国連総会決議194号が明記する元々の居宅に帰還する権利の否認。3)イスラエルのパレスチナ人(非ユダヤ人)市民が受けている人種差別あるいはアパルトヘイト体制―を終わらせるために闘う。・・・これがパレスチナ及びアメリカ合州国双方の「イスラエルの学術・文化ボイコット・キャンペーンの3目標である。
 アメリカ社会全般は勿論、大学で、パレスチナ問題が検閲や箝口令の対象になるのは教育権や学問の自由、真の民主主義に照らして許さないこと。http://www.usachi.org/about/より。

 合州国の人種差別制度、南アのアパルトヘイトを廃絶した人民の闘いは、イスラエルの野蛮を必ず終熄させるだろう。
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この米日両国政府の反人道性を糾弾する!

2011/11/30 20:00
 11月21日付『毎日』1面のトップ記事は「橋下氏、平松氏をリード」。独裁志向と愚民政策に主権者が共鳴し支持する可能性がある。ヒトラーとファシズムを鼓吹する笛吹き男に催眠術をかけられて列をなして翼賛する愚かさ、これを利用する悪徳が勝つのだろうか。

 1面左に「「もんじゅ抜本見直し」 政策仕分けで提言」。これは政策を動かす良識が、なお部分的であれ健在だとの証。

 ところが、中央に「クラスター禁止「骨抜き」条約非加盟国「新条約」」。関連して4面に「爆弾使用継続の“意思”」「米を日本も後押し」「保有国の圧力手段に加担」「クラスター禁止「骨抜き」」。
 新条約案の内容は? 記事によると、1980年より以前に造られた不発率の高い古い爆弾を12年間の猶予を付けて禁止する一方、不発率1%以下の爆弾を使う米国の方針と合致する」という。
 2008年締結のクラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)は2010年8月に発効、使用・製造・保有を禁じる条約。加盟国に発効後8年以内に備蓄の廃棄などを定めている。加盟国は日英仏など111ヵ国で、大量に保有している米露中は、なんと、参加していない。
 97年に締結された対人地雷禁止条約にも米露中は参加していない。加盟国は158,国連加盟国の8割を占めているが。

 不発率が高い爆弾よりも低い爆弾の方が人道的だというのは、悪魔的発想ではないか。命中率の高い武器は低い武器より人道的だ、などとは人間らしい理性や良心や感性や想像力を正常に持つ人なら考えもしないだろうに。
 ブリュッセルの斎藤義彦記者が1面に加えて4面にも報道・論評記事を発信。「米を日本も後押し」「保有国の圧力手段に加担」爆弾使用継続の意思」「クラスター禁止骨抜き」の見出しに問題点は要約されている。
 「クラスター爆弾規制に一貫して反対し、妨害工作も行ってきた米国が、規制の緩い条約に各国を加盟させ、オスロ条約の無効化を図る構図。オスロ条約加盟国は骨抜きに加担すべきではない」と、良心・正義の勇気ある論説。
 オスロ条約締結を主導したメキシコ・オーストリア・ノルウェー3国の各外相が『毎日』に声明を寄せたのも、嬉しいこと。「国際人道法の深刻な後退になる」との警鐘をアメリカも日本も申告に受け止めるべきだ。ただ、「軍事大国が人道的な価値を高めようとする真剣な一歩は歓迎すべきだが」は痛烈なアイロニーとして読むべきなのかどうか。

 11月26日6面に、憂うべき事態が報道された。クラスター爆弾を大量に保有する米露中やイスラエル・インドなどは、「特定通常兵器制限条約締約国会議」で、規制緩和の条約案を、これに合意しなければ「人道的被害を無くす好機を失う」などとオスロ条約支持派を脅迫と。
 26日夕刊は9面で、「「骨抜き条約案」廃案」「軍縮会議 米露など外交工作失敗」の見出し。
「オスロ条約支持の50ヵ国は反対声明を発表、議長は採択に必要な全会一致は得られないと判断、採択を見送った」と。

 翌27日付の6面に、斎藤義彦記者は発信記事の最後に書いた。「日本は、最後まで骨抜き条約に反対を表明せず、オスロ条約に賛同するまで後手後手に回ったかつての失態をまた繰り返した」と。醜態というべきか。

 こういう論評記事があると、『毎日』の半世紀読者であることに安堵する。核兵器・原発・武力行使にも人道の見地からの政治批判を。

      2011・11・30  須田  稔
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誰のために何のために生きるのか

2011/11/24 20:05
 「それはかつて起きた事だから、再び起きるかもしれない」。1944年2月にアウシュヴィッツに送りこまれ、1945年1月27日にソ連軍によって解放されたこの強制収容所から奇蹟的に生還したユダヤ系イタリア人のプリーモ・レーヴィ(1919―1987)の言葉。立命館大学国際平和ミュージアムで「2011年度秋季特別展 プリーモ・レーヴィ――アウシュヴィッツを考えぬいた作家――」が、10月22日から12月17日まで開催されています。彼の著作『アウシュヴィッツは終わらない――あるイタリア人生存者の考察』(朝日選書)も読まねばと思うのです。
 実は彼の名を知ったのは昨日のこと。僕が代表委員をつとめる京都府アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会主催の公開講演会で、京都大学の岡真理教授が「公正な平和(Peace with Justice)を求めて――パレスチナ問題と私たち」と題してお話し下さった中でのこと。
 記憶することが大事なのだ。しかし、忘れさえしなければよいのか。そうではない。「忘却が次の虐殺を準備する」と警告する知識人もいます。何のために誰のために記憶すべきなのか、が問題なのですね。
 広島の平和公園の碑の一つに「過ちはくりかえしませぬから」と刻まれています。過ちとは何を指すとみなさんはお考えでしょうか。日本の侵略戦争とアメリカの原爆投下という残虐な戦争犯罪で、それがもたらした惨害が66年後の今も消滅していないという事実を忘却してはならないのですね。記憶に留めることで、こういう犯罪の再発はさせまい、という決意の表明のはずです。
 パレスチナは「世界最大の監獄」と岡真理さんは評します。2年前の12月、22日間、陸と空と海から、白燐弾まで使用してのイスラエルの爆撃で1400人を超えるパレスチナ人がガザで殺害された。イスラエルの1967年以来の『入植活動』とは侵略・占領行為にほかならないし、1948年のイスラエル建国以来、パレスチナ難民は470万人にもなるのだが、そしてこういうことは人道に対する明確な犯罪であるのに、世界最大最強の軍事力を持つアメリカ合州国の庇護があるゆえにイスラエルの無法無謀は黙認されていますね。
 イスラエルの言い分は、こうです。反ユダヤ主義が第2のホロコーストを起こす可能性に備える、世界中のユダヤ人の避難所としての「ユダヤ人の国」なのだ。ユダヤ国家の存立と維持の正当性に脅威を及ぼすものに対して暴力を行使するのは正当である。
 アメリカ合州国の100年を超える人種差別制度が法制上廃止されたのは1965年。1948年から91年の法的廃止まで続いた南アフリカのアパルトヘイト。欧米に今なお根強い人種差別主義、つまりは白人優越主義。これに軍事力が動員されて帝国主義・植民地主義が15世紀から20世紀半ばまで、まるで「公正な」世界秩序のように思われてきました。「ユダヤ人至上主義」で、アパルトヘイトの南アでは黒人種は劣等人種と見られたが、パレスチナ人は人間と見られていないと評されるほどなのです。
 戦争や武力抗争や軍事占領など「直接的暴力」がないことが「平和」なのだ、というのは正しくないですね、貧困や飢餓や差別や疾病などの「構造的暴力」、あるいは言論・思想の抑圧や誹謗中傷など「文化的暴力」もない状態こそが、「公正な平和」、日本国憲法第9条で「日本国民が・・・誠実に希求する」とする「正義と秩序を基調とする国際平和」ではないでしょうか。
 ハマースをイスラーム過激派あるいはテロリストと描き出す欧米や日本のマスメディアを疑う必要がありそうです。ぼくは、オバマの合州国もなお、世界的言語学者で真正の良識知識人ノーム・チョムスキー教授が断言するように、「テロリスト国家の親玉」であると思っています。1967年4月4日、ニューヨークのリヴァサイド教会でヴェトナム戦争に反対する演説をしたマーティン・ルーサー・キング牧師は、貧困黒人が居住させられているゲットーの若者たちの暴動を責める前に、「暴力の世界最大の調達人である私のアメリか政府を」糾弾しなければならないと、勇気と良心を揮って述べました。この発言があって丁度1年後の68年4月4日に暗殺されました。アメリカのCIAやFBIなど政治権力の弾圧機関の仕業ではないかと僕は思っていますが。
    ▽ ▽  ▽ ▽  ▽ ▽
 多喜百合子さまの共著『ジェノサイド』を書評した縁で、多喜百合子さまと音信を交わすようになり、中西トク子さまとも文字で友情を温める仲になり、YWCAのニュースレターもお送り下さって、このクリスチャンの団体の息吹きに初めて接する歓びを得ました。日本友和会とは数年前に「憲法9条・メッセージ・プロジェクト」事務局長として知り合い、交流を続けていますし、宗平協でご活躍のカトリック司祭を畏友としていますし、京都憲法9条の会にはYMCAのかたもYWCAのかたも役員としていてくださいます。僕自身は、主にアメリカを研究してきましたから『聖書』は座右の書です。
 YWCAつくばルームは2000年に発足20周年を迎えられたのですね。敬服する一つの事は、2000年の30号によると、原発についての最初の学習会がその20数年前とのこと。日本平和学会事務局長・石井摩耶子さんや高木仁三郎の名前が記されていますね。2007年12月発行の33号には、多喜百合子さまのお話を聴かれたと。
 機関紙「YWCA」の今年10月号に、7月の世界YWCA総会の報告記事があり、「日本YWCAは、核兵器だけではなく「核の平和利用」だと言われる原発に対しても長い間反対してきました」。「1963年の世界YWCA総会で関屋綾子さん等代議員が既に、核兵器のみならず『原子力の平和利用』に疑義を表明しています。その時には、世界YWCA総会の仲で理解を得ることは出来ませんでした」。「『非核』に向けた具体的な取組みを世界中に広めて行くためには、これからが大切になるのだと感じました」。
 11月1日付「東京YWCA」で知ったことは。「62年来、平和憲法の危機を感じて年に1度、全国集会「憲法研究会」を積み重ね」、「1970年、次期運動の強調点の第1に掲げたのが「『核』否定に立つ」であった」。そして、「85年の全国総会で、私たちは『生命を選ぶ』(旧約申命記30:19)を主題として掲げる事になった」。

 アメリカの平和団体「平和と正義をめざす連合UFPJ」のニューズレターに「核兵器と原子力発電所は悪の双生児」という表現がありました。
 地震と津波の被災地の再生・被災者への救護が阪神淡路大震災の神戸と比べて何十倍も遅いのは、辺境の地方ゆえではないか。行政の差別が明らかではないか。福島住民はじめ外部・内部被曝の深刻な事態はチェルノブイリと大同小異なのに、この防護・除染・補償・治療の対策のいい加減さはなんたること!再稼働を企み海外輸出を約束するなど、もってのほか。
 大阪の橋下たち「維新の会」に喝采を送る有権者の愚かさに歯ぎしりするのですが、僕自身の過去の暗愚を恥じるから、真実を知る力は、そういう人たちにも備わっているにちがいないのです。その力を育てる働きかけが必要なのですね。いま、この国と主権者は、将来世代に対する責任と使命に鈍感であってはならないのです。『絶望の山から希望の石を切りだそう』。
 乱雑な文章をお赦しください。 

    2011.11.24 須田 稔
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 99%の非暴力レジスタンス運動のこと

2011/11/20 11:00
 11月17日、ニューヨークで警察発表3万2500人のデモ。「99%にとっての歴史的行動日」。「1%の強欲と腐敗はもう我慢できない99%の非暴力抵抗運動は、この日、全米30以上の都市でも展開された」。
 日本語版『誇りと抵抗』(集英社新書・04年6月)の著者アルンダティ・ロイが11月16日、NYCのワシントン・スクェアにある人民大学で行ったスピーチの前文を以下に訳してみた。

 「火曜日の朝、警察はズコッティ公園から人びとを閉め出したが、今日人びとは戻ってきました。警察は知るべきです、抗議運動は領域を狙う闘い(battle)ではない、私たちはあちこちの公園を占拠したくて闘っている(fighting)のではない、正義を求めて闘っている、それも合州国の人民のためだけでなく万人のための正義を求めて闘っているのだということを知るべきなのです。
 占拠運動が合州国で始まった9月17日以降、みなさんが達成したのは、新しい想像力、新しい政治言語を帝国の心臓部に導入したこと、人みなに催眠術をかけてゾンビ(ふぬけ)に変えてしまおうとする体制、無頓着な消費主義を幸福や達成感と同等視させる体制、この体制に夢を持つ権利を再生させたことです。
 作家として言いたいのですが、これは巨大な業績です。感謝しきれないほどです。
 正義のことを口にしましたが、今日、こうして話しているとき、合州国軍隊はイラクとアフガニスタンに占領戦争をおこなっており、無人機はパキスタンとさらに奥地で民間人を殺し、何万という合州国軍隊と暗殺者集団がアフリカに進軍しています。イラクとアフガニスタンの占領経費が何十兆ドルでも不足だとして、イランに対する戦争さえあからさまに口にしています。
 大恐慌以来、武器の製造と戦争の輸出が合州国の経済を刺戟する主要な方策でした。最近も、オバマ大統領のもと、穏健派ムスリムのサウディアラビアと600億ドルの兵器取引を行い、アラブ首長国連邦とはバンカーバスターを何千と売りつけたがっています。アフリカの最貧国すべてを合わせたよりも貧困者の多い私の国インドには50億j相当の軍用機を売りつけました。
 ヒロシマ・ナガサキからヴェトナム・朝鮮・ラテンアメリカに至る戦争、アメリカ的生活様式を確保するための戦争で、何百万人の生命を奪ったのでした。この、世界中が渇仰すべきとされるモデルであるアメリカ的生活様式の合州国で、わずか400人が全米人口の半数の富を保有しているのです。何千という人が家と職場から追い出される一方で、政府は銀行と企業を救済し、アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)だけに1820億ドルを与えたのです。
 インド政府は合州国政府の経済政策を崇敬していて、20年間の自由市場経済の結果、最も富裕な100人のインド人が国のGNPの4分の1に相当する財産を所有、他方、人民の80%は1日50セント以下で暮らしています。25万人の農民が死の連鎖的変動で自殺に追いやられました。これを進歩と呼び、インドはスーパーパワーと考える向きがあるのです。みなさんと同じく私たちも資格十分なのですが、核爆弾を保有し、公序良俗に反する不平等があります。
 占拠運動は世界中の他の何千というレジスタンス運動と合流し、最貧困の人民が決起し、最富裕の企業を立ち止まらせています。あなたがた合州国の人民が私たちに味方して帝国の心臓部でこういう事をしてくれるとは、実は私たちの多くは夢想だにしなかったのです。このことの意味の巨大さを伝える術がないほどです。
 彼ら1%の人が知りたいとも思わず実際知らないでいるのは、私たちの怒りです。私たちには彼らを破滅させる力が十分にあるということです。が、ここで一緒に考えたい幾つかの事柄、「革命前の」思考があります。
私たちは、不平等を生み出すこの体制に蓋をしたいのです。企業は無論のこと個人も、富や財産を何ものにも束縛されずに蓄積することに上限を設けたいのです。” cap-ists” (栓をつける人)、”lid-ites”(蓋をする人)として、次の事を要求するのです。

・ビジネスでCROSS―OWNERSHIP(1つの企業による、新聞社とラジオ・テレビ会社の共同所有。例えば、読売新聞社と読売テレビを所有すること。)を終わらせること。例えば、武器製造業者はTV局経営が、鉱山企業は新聞発行が、実業家一族は大学に資金提供が、できないし、製薬会社は公衆保健衛生の資金をコントロールできない。
・天然資源とインフラストラクチャー(水の供給・電気・健康・教育)は民間化・私有化はできない。
・誰もが住宅・教育・医療の権利をもつべきである。
・富豪の子どもはその両親の冨を相続できない。

 この闘い(struggle)は私たちの想像力を覚醒させました。資本主義は正義の観念を、ただ『人間の権利』の意味に矮小化し、平等を夢見る観念は冒涜的だとしてきました。
 私たちは、ただ何かに置換する必要のある体制、それを改革(reform)すべく下手な修繕をするために闘っているのではありません(are not fighting)。
 「栓をつける人」として、「蓋をする人」としてみなさんの闘い(struggle)にご挨拶をおくります。
 Salaam (平安を祈ります) and Zindabad(万歳) ( CommonDreams.orgに拠る)。

 アルンダティ・ロイ(Arundhati Roy)は1959年にインド・ケララ州で生れた。デビュー作『小さきものたちの神』でイギリスのブッカー賞を受賞。「戦争や人権侵害に反対する姿勢でも、世界から尊敬を集めている」と『誇りと抵抗』の奥付に記される。
 彼女は真正の知識人の一人だと僕は思う。アメリカ批判も真率だ。「合州国は罪を認めもせず,あがないもせず、アフリカ系アメリカ人や先住アメリカ人に謝りもせず、それにもちろんやり方を改めもせず(いまではその残虐さを輸出までしている)。・・・広島と長崎の一般市民に原子爆弾を投下したこと。戦争は終わりかけていた。殺された数十万の日本人も、孫子の代まで癌に苦しむ数多くの被爆者も、世界平和を脅かす存在ではなかった。彼らは一般市民だった。世界貿易センターやペンタゴンで犠牲になったのが一般市民だったように。広島と長崎の爆撃は、アメリカの力を誇示するための冷酷で計算された実験だった。当時、トルーマン大統領はこれを「歴史上最も偉大な出来事」と評した」。
 
 そして、キングに付いて書く人が大抵無視するキングの冷徹な洞察のことば、を彼女は紹介するのだ。「一九六七年四月四日、暗殺される一年前、マーティン・ルーサー・キングはニューヨークのリヴァサイド教会で演説を行った。こんな風に。「ゲットーの抑圧された人びとの暴力に対し、わたしは二度と反対の声を上げることは出来ない。その前にまず、今日の世界で最大の暴力賄い人に対し、はっきりと異議を唱えなければならないからだ――つまり、私自身の政府に対して」」。

     2011.11.20   須田  稔
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TPP反対は尊皇攘夷か

2011/11/10 13:13
▼「TPPなどやると日本がアメリカ化して日本でなくなる、と心配する人が結構いる」。
 「論理でなく心情に着目すれば、TPPの反対論は幕末の尊皇攘夷論とあまり変わるところがないように思う。・・・私はこれを「尊農攘夷」と呼ぶことにしている」。
▼この論者は、農業団体だけがTPPに反対していると読者に印象づける。事実は、医療・薬剤界・消費者団体・女性団体・労働団体など広範な各界各層が反対あるいは危惧を表明している。政権党も賛否相半ばしているようだ。
 「既得権」にしがみついての反対論だと言いたいらしいが、食糧自給率をこれ以上に低めることは主権者国民の生命と生存にとって重大な脅威ではないか、という問題が「既得権」か。
▼「この気分(=心情)はよく分かるのである。アメリカはペリー提督からマッカーサー元帥、さらに近くは日米構造協議に至るまで、日本国の根本に手を突っ込んで大変動を起こしてきた国である」。この部分は異議なしだ。
 が、「結果は悪くなかったと思うが、それがまたしゃくのタネだ」と書く。戦後の日米安全保障条約・日米同盟による災厄の深刻さ、日本国憲法を蹂躙し無視して、ひたすら対米従属路線、アメリカの世界戦略を「上意」と心得て、平和・文化の対極の軍事・暴力を肯定する政治に、ジャーナリズムが翼賛し、アメリカの干渉と日本の追随は「悪くなかった」と自認。
▼「現状維持だとジリ貧である。変化にしかチャンスはない」。アメリカとの隷属的同盟をもっともっと強化し深化することが「ジリ貧」から抜け出せる道だと説くようだ。
 「アメリカというとおびえたり、カッとなったり、平静心を失うのが旧世代である。若者にはその種のコンプレックスがない。TPPの意義は米国の大国主義の封じ込めにもあるのだ。ぜひトライしてほしい」と結ぶこの論説は、11月9日付『毎日』:の「水説」で「尊皇攘夷でいいのか」と題する潮田道夫・専門編集委員の執筆になる。
▼「アメリカの大国主義の封じ込め」にTPP参加あるいは締結が有益・有効である、とは迷妄ではないか。米軍との地位協定が沖縄では空文にされている永年月、県民はじめ県知事や自治体首長の大半が県外移設を求めている普天間飛行場問題。「大国主義の封じ込め」を希求するなら、沖縄県民の総意を受け入れて、辺野古への移設を断念すべしと、潮田氏は米日両政府に強硬に要求する論陣を張ってきたのだろうか。
 国連憲章は「二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い」たいという熱望から生まれたが、日本国憲法はさらに、核兵器という残虐無比の大量無差別虐殺・破壊兵器が使われた人道違反の戦争犯罪を経て、主権在民・戦争放棄・基本的人権を国のかたちの根本に据えたのだ。
この日本国憲法をないがしろにし、日米軍事・経済同盟を「国際的公共財」などと持ち上げる論説が横行しているが、『将来の世代』にたいする責任を思えば、危機感を深めたり憤激するのは当然だろう。「コンプレックス」(劣等感という意味で使っているのだろうが)の問題に矮小化するのもジャーナリストらしくない。
▼翌10日付の「余録」に、「TPPを必要とする通商国家・日本の戦略とビジョンを示せねばどだい幕府の開国とさして違わない」とある。「反対論や不安にていねいに答える」、「国論を二分する争点での国民への説得力が試される」とあるが、「踏まれても蹴られても沖縄県民に向き合う」と玄葉外相が言ったのに似て、反対論を抑えにかかれと首相に進言していると読めるのだ。「大国主義」アメリカと対峙するのでなく自国民を折伏しようとする政治と反民主主義・非対等平等の外交に『毎日』は異議なしか?

      2011/11/10  須田 稔
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この惨害に、「展望なき『脱原発』との訣別を」と社説を掲げる『読売新聞』の知性不在の怖さ

2011/10/23 23:51
 この大新聞の9月7日付「社説」は、今後は節電だけでは不足が明らかなのに、野田首相が原発新設を否定したのは早すぎる。自然エネルギーへの過大な期待は禁物。脱原発に向かうとすれば原子力技術の衰退は不可避。大要こういう主張らしい。福島原発事故の悲惨に不感症なのか。らしいというのは、NPO法人ピースデポの機関誌10月15日号に元長崎大学学長の土山秀夫さんがお書きの「反省なき社説を批判する」で知ったのだ。
 1954年3月のビキニ環礁での米国の水爆実験で第五福竜丸が被曝したことを契機に、反核は国民的運動になり、翌年に第1回原水禁世界大会。「核アレルギー」との冷笑、「反米的」との中傷に屈せず、以来、「核なき世界」をめざす市民運動として世界をリードしてきた。
 この反核運動を圧殺すべく、アメリカはCIAも使い中曽根康弘代議士と読売新聞社主・正力松太郎の二人に原子力の「平和利用」を推進させ、読売は原発宣伝のお先棒を担ぎ、自然エネルギーの研究開発を阻害してきた。
 土山先生はお書きだ。「社説の最後には日本のプルトニウム備蓄が、潜在的に核抑止力として機能していることも、新たな原発推進の根拠の一つとしているのには唖然とした」と。

 22日付「メディア時評」で、言論NPO理事の田中弥生氏が「原発集会に見た新時代の潮流」を論述。『東京』『毎日』『朝日』対『読売』『日経』『産経』の例えば「さようなら原発5万人集会」の紙面の扱いに違いがあるが、それは原発に対するスタンスの違いに加えて、「この集会を従来型の市民運動と観るか、新しい潮流と観るかで違いが出たのだ」と。
 「従来型の運動とは、社会的課題について世論を喚起し、政策改変を求め政府に強く働きかけることに重きを置く運動で、参加者は一部の人にとどまる傾向があった」。が、「先の集会を報道した22日付『毎日』は、子ども連れ主婦や作家など多様な層が参加し始めていると指摘、25日付『朝日』は自分で何とかしたいと起ち上がる人びとが増えているとした」として、これを田中氏は「新しい潮流」と呼ぶのだ。
 氏はドラッカーの洞察と予測を援用するのだが、私はアメリカの「ウォールストリートを占拠せよ」運動は金融資本を、日本のそれは「原子力(原発)ムラ」を、生殺与奪の権を握る獰猛な怪物と見定めて、生命と生活を護る、平和的生存権を死守しようとする痛切な自衛の抗議運動なのだ、と思う。『政策改変を政府に強く働きかけている』のだ。労働組合も芸術家も賛同する、いわば国民的運動が世界中で始動しているのだ。従来型の新たな発展形態だ。
 グローバリゼーションという名の、強大な金融資本が操作する自由市場経済が、生活と人権の格差を拡大し、庶民との矛盾を尖鋭化していて、戦争勢力と対決する力の成長を見るのだ。


 『毎日』は、『読売』ほど醜悪ではないから、定期購読五〇年の付き合いなのだが、大阪本社版には20日号の広島版の記事はなかった。
 大事だと思うので、ここに記しておきたい。2015年は被曝70年という年。広島で「核被害者世界大会」を開催する計画が動いているのだ。実は森滝市郎氏らの提唱で、第1回が87年にニューヨークで16ヵ国約300人参加(米政府が入国拒否という干渉をしたらしい)で、あらゆる形の原子力技術を否定するなどの決議を採択した。第2回は92年ベルリンで60ヵ国約450人参加という歴史が。
 「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」運営委員の田中利幸・広島市立大学広島平和研究所教授が全国に呼びかけていく計画で、「分離した反原発運動と反核運動を統一して核被害の広さをアピールする」という。大歓迎だ。

      2011/10/23  須田  稔
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道徳の荒廃 地球社会を破滅させる政治

2011/10/20 23:41
 自動車が2歳の女児に衝突。運転者を含めて18人もの大人が目にも留めず傍らを通り過ぎた。別の車に轢かれたあと、女児は病院に運び込まれたが、意識不明。19日付『毎日』は、「人心荒廃 嘆く中国」「広東地元テレビがビデオ映像」「ネットで批判殺到 人民日報『道徳向上を』」と大きく記事にした。
 19日夜、NHK綜合テレビの「時論公論」は、中国共産党中央委員会総会が18日開会され、「文化体制改革」という新しい改革路線を提起し、コミュニケでは、道徳・モラルの重要性を訴えた、と紹介した。
 先日の中国高速鉄道の脱線転落事故も、安全性優先というモラルの欠如に由来するとの認識なのだろう。日本でも、電車の運転士が走行中に私物ケイタイ電話を操作していた、という新聞記事もあった。殺人事件も冤罪事件も。

 考えてみると、貧富の格差、搾取、収奪、弾圧、殺戮などが人間世界にあり、それを生み出す構造や体制、方法や手段があること、それらは他でもない人間が創り出したものであり、そして、それを是認する人間が存在すること、・・・この人間の営為が反道徳的なのだ。どうしてこういう営為を行うことができるのか。
 人間をどう視るのか、自分をどう観るのか、この人間世界あるいは地球社会をどう見るのか、これが私たちの思考の構造と枠組みを決めるのだろう。そしてこの枠組みの中で、行爲を決めるのだろう。
 政治的行為であれ、経済的行為であれ、あるいは科学的・技術的行為であれ、人間と世界をどのように観るか、その観方が正邪・善悪など道徳的価値に照らして適切かどうかで価値判断をしなければならない。
 「ウォールストリートを占拠せよ」の運動もエジプトやリビアの独裁政治打倒の運動も、利己主義・個人責任・金権または武力などに基づく序列社会に対する抗議だ。民主主義は、自己の尊厳の自覚から発して家族・コミュニティ・国の同胞・国境を超えて人類同胞・地球にまで、他者を思い遣ることを倫理とする。
 10月15日月『毎日』の「View Point」でベルリン自由大学教授ミランダ・シュラーズ氏が、「『倫理』の側面から考えた原発」を書いていた。ドイツが6月に2022年までの原発全廃を決めたが、コスト・エネルギー供給の面だけでなく社会倫理も吟味したという。仮に脱原発で電気料金が値上がりし貧困世帯が苦しめば、社会倫理に反するのでは、また、使用済み核燃料の処分の負担を未来世代に押しつけるのは倫理的かという設問も議論したという。
 18日付「地方発」で山内亮史・旭川大学学長は、「「フクシマ」が投げかけている「この国のかたち」の根源的な問題は、原発の「安全神話」を作り出した価値思考の貧困さにある。経済的豊かさを至上価値として、地方の歴史的文化的多様性を生産力のフローとしかみなかった。いびつな過疎と過密の姿がこの国のかたちだ」と論じる。
 1984年、国と動力炉・核燃料開発事業団が北海道幌延町に高レベル放射性廃棄物の貯蔵・研究施設の建設計画を公表、道や周辺自治体が反対、03年に地下研究施設のみが着工。山内氏は「幌延問題を考える旭川市民の会」代表委員である。
 15日付の1面トップは「モンゴル核処分場断念」「日本に通告 反対運動高まり」。02年に世論の反対でオーストラリアでも失敗したと。核廃棄物、これは「一〇万年以上、生命の世界から隔離しなければならない。半減期に1000万年以上を要する「超ウラン元素」も含まれる」と山内学長。
 かつてアジア・太平洋地域の人民に対して加害国であったことを認めない野田首相、原発の輸出を断念しない内閣、反道徳の極みだ。

       2011/10/20  須田 稔
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疑惑の解明に挑むことに人間の未来がある

2011/10/18 20:31
 アメリカに「9・11事件の真実を求める建築家と技術者の会AE 911 TRUTH」があることを、先日、PCのOUTLOOK EXPRESSで知った。「Journal of 9.11 Studies」という機関誌もあると。
 トゥイン・タワーの崩落を全面的に解明するというより、航空機の衝突ないまま崩壊した第7ビルを主な対象に論究しているようだが。
 リン・マーギュリス(Lynn Margulis)博士という人も9・11の世界貿易センター(WTC)の三つのビルの崩壊に関して爆破制御解体説を支持しているという。彼女は、生物の概念に革命的な衝撃をもたらした「細胞内共生説」を提唱した学者。これはダーウィン以後、「弱肉強食の生存競争」という自然界の本質的な姿に関する概念を、ひいては人間観・世界観を、一八〇度転換させるものかもしれないという。「競争」「闘い」と「共有」「共生」は同時にあるが、後者の方が優位にあるのではないか。「殺して食う」より「互いに頼り合い共に生きる」方が自然界にとってより本質的なことなのではないか。こう提起するのだ。博士は1999年に米国国家科学賞(the National Medal of Science)、2010年にthe Leonardo da Vinci Society for the Study of Thinking(思考研究レオナルド・ダ・ヴィンチ協会?)の会員に。

 WTC崩壊で最重要な物的証拠となるビル群の残骸を急いで撤去したことは「犯罪」である。科学的な認識を最終的に決定するのは「事実」であり「事実に基づいた証拠」なのだ。博士の信条は明快だ。
 しかし、物的証拠ばかりか第一級の映像資料までをこの10年間徹底的に無視し続けて、国立標準技術院(NIST)が報告書を著した。
証拠があるとは想定しないから探しもしない。1500人の建築家と技術者が、この報告書に異議ありと表明したという。
 ウソ=虚構が事実を駆逐する、神話が現実を食いつぶす、そういう時代が今なのだ。「政治が発する神話化の力への屈服が露呈する現代という時代」、「ウソをつき証拠を否定し無視するなら、それは科学でもなんでもない」。リン・マーギュリス博士のような科学者が世界で多数派になるのを期待するばかりだ。

 18日付『毎日』の「発信箱」に永山悦子記者が「新発見の試練」を書いている。「光速より速いものはない」というアインシュタインの理論に反する発見、「ニュートリノが光速を超えた」という新発見」について、研究チームは「世界中の科学者に検証を求める異例のコメントを出した」と。「新発見」なるものを「多くの研究者の検証に拠って新たな知見も生まれる。それが科学であり、研究者の責務です」と宮沢孝幸・京都大学准教授は永山記者に語ったという。

 ヒロシマ・ナガサキ以後は核の時代。自然科学が政治に『従属』し、「政治が発する神話化の力への屈服」の時代。
 日本で原子力発電所建設問題が起きた1950年代後半、「日本学術会議は学術的視点に立って、耐震性を含む安全性、廃棄物処理、採算性などの検討を進め、問題点を指摘した。政府がこれらの提言を誠実に受け止めれば今日の事故は起こらないで済んだ可能性が大きい」。
 これは、去る7月11日、世界平和アピール七人委員会(武者小路公秀・土山秀夫・大石芳野・池田香代子・小沼通二・池内了・辻井喬の各氏)が公表した文書「原発に未来はない:原発のない世界を考え、IAEAの役割強化を訴える」の一部だ。
 「原発安全」「核抑止力」という神話づくりに加担した、特に自然科学者の罪は大きい。

      2011/10/18  須田 稔
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沖縄の米軍基地と本土の原子力発電所の共通点

2011/10/17 20:25
 10月17日付『毎日』の「社説」は「普天間基地」。「野田内閣の閣僚による「沖縄訪問ラッシュ」である」という書き出し。先週の沖縄担当相、16日に防衛相、19〜20日外相。そして年内に首相。米政府への哀れな忠順ぶり
 「実現の道が見いだせない辺野古への移設にしがみつくのは、もう限界である。野田政権は、日米合意を見直して、米国、沖縄双方が合意できる方策を検討すべきである」。正論だと思う。

 「社説」は、問題の根源を2点挙げているようだ。一つは、「沖縄に米軍基地が集中する現状が本土による「差別」と捉えられ、強い不満と不信が渦巻いていること」。二つ目は、「周辺住民に対する危険性」の除去が喫緊の課題。
 住民のいのちと暮らしへの危険性という点では、原発も軍事基地を同類だ。「差別」といえば、なぜ都市の電力需要を満たすために地方漁村農村に原発を置かねばならないのか、なぜ危険なものを都心部に置かないのか、という問題がある。なぜ本土でなくて沖縄なのか、という問題と同質の問題。
 もう一つの共通点がある。それは、危険を押しつける代償に札束で懐柔するやり口だ。
 軍事基地は本来、平和的生存権を保障し持続可能な地球社会を実現する上で、危険で不必要なものだ。少なくとも外国に設置すべきではない。原発もウランの採掘以後稼働中に至る全過程で放射能を出しているし、事故発生の場合は全世界に生命殺傷の危険を拡大するのであり、放射性廃棄物の処理は地下300bの地層にといっても実際は人力で制御できる場所はない。人類自滅の道を突き進むのか。
 米軍基地をなぜ日本領土に置くのか。日米安保条約があるからだ。日本の国策なのだ。原発も実は米国の核による世界支配戦略から日本に押しつけられた政策なのだ。
 沖縄(他の米軍基地の立地自治体もだ)と福島(他の原発立地自治体もだが)は、このように、対米従属、多数者優先の差別構造、不満不平はカネで解決という金権主義、の集中した地域、つまりは日本国憲法の理念を放棄する政治のショーケースなのだ。

 沖縄と米軍基地を抱える他の自治体が、福島と原発を抱える他の自治体と課題を共有していることのほか、福島は広島・長崎とも「ヒバクシャ」で悲惨と痛苦と祈りと叫びを共有するのではないか。
 東京外国語大学教授で世界各地の紛争処理・武装解除の活動が豊富な伊勢ア賢治氏は、国際協力のNGO[ピースビルダー]の代表理事でもある。氏は「放射能差別」を理解し、「息の長い国内支援を維持するには、広島がリードするのが一番いいのではないかと思った」と、
蓮池透氏の著書『私が愛した東京電力』の中で語っている。核兵器廃絶と原発廃止の問題で広島と福島をどのようにつなげて考えるのか、伊勢ア氏は具体的な構想を語っていない。
 原発は核兵器の材料を生むという。発展途上国に原発を輸出することは、核兵器の拡散を想定することだ。「核兵器のない世界」を実現するには原発も廃絶するほかない。国の、世界のかたちに関わる大問題なのだ。

 10月16日の「社説」は、「電力業界と「政官」」という主題で「なれあいを放置するな」と。核の平和利用の原発も軍事利用の核兵器も、軍産複合体と政治家と官僚と腑抜けの学者と言論界が唱える呪文をそのまま信じ込む能天気な人民が多数であれば、なれ合いはなくならない。木鐸となるべき新聞・ジャーナリストは奮起してもらいたい。経済的豊かさこそが至上の価値だとする価値観から脱却しなければ、人類の未来はないのだ。

      2011/10/17   須田 稔
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パレスチナ人を迫害してきたのは誰だ

2011/10/15 14:32
 パレスチナ自治政府のアッバス議長が、9月23日、国家としての国連加盟を申請した。『毎日』が10月14日付「論点」に、パレスチナ解放機構国連代表団メンバーのフサム・ゾムロット氏と元イスラエル外務省法律顧問アラン・ベーカー氏と防衛大学校教授・立山良司氏を登場させている。
 
 出来るだけ公平に評価しようと努めるが、まずベーカー氏は、国連憲章を引いて国連を支える一般通念は「条約など国際法から生じる義務の尊重と正義とを維持する条件を確立する」という前文を引用(氏の引用、或いは花岡氏の訳は『基本六法』と合致しないが)する。「国家のみが加盟できる」としているが、原則はそうだろう。加盟条件は憲章第2章第4条にあるが、ベーカー氏は自己流解釈を披瀝しているのではないか。
 憲章で大事なのは、「戦争の惨害から将来の世代を救う」ことを目的としている点だろう。ベーカー氏は1967年の安保理決議242号が、第3次中東戦争後の和平プロセスの出発点だ」と言う。その後の進展に触れない。

 立山氏が91年10月の「マドリード和平会議」からの20年で達成されたことは「西岸の一部とガザ地区がパレスチナ自治区になった」ことだけで「しかもガザは封鎖されたままだ。加えて、イスラエルの入植活動は続いていて、西岸の入植者人口は10年末現在で30万人強と、20年間で3倍になった。「入植活動が将来の国家の土地を奪っている」というパレスチナ側の危機感は決して誇張ではない」と書く。
 93年9月の「オスロ合意」でパレスチナ暫定自治原則宣言、94年5月にカイロ協定で「ガザ・エリコ暫定自治合意」が成立したのに、ゾムロット氏が指摘する通り、「イスラエルによる土地略奪と植民地化」がパレスチナ人から生存手段・生存権を奪い、「2国共存による」解決を極めて難しくしてきた」のだ。

 大日本帝国が「満蒙開拓」と呼んだが、実は外国(植民地傀儡国家)の領土を奪取する侵略行為の欺瞞的美称であったように、イスラエルの「入植」なるものも、帝国主義的侵略であり不法な占領地拡大にほかならないのだ。
 何故そういう無法が可能なのか。イスラエルは核兵器も保有していると推測されるほどの軍事力をもち、世界最強の軍事国家アメリカ合州国がイスラエルを擁護するためには、国連安保理で拒否権を行使してパレスチナの国連加盟を阻止するほか、あらゆる術策を駆使するからである。『ならず者国家同盟』が癌なのだ。

 パレスチナにユダヤ人国家を、というシオニズム。ポグロムやホロコーストなど大規模な受難の歴史を背負うユダヤ人が民族国家の再興を欲するのは理解できる。1948年5月14日、イスラエル共和国成立が宣言された。パレスチナ人=アラブ人を追い出すだけでなく、迫害し殺傷する行為は被抑圧民族ユダヤ人の尊厳を貶める愚行だ。カネと武力で非人道的圧制を続行するイスラエルは間違っている。

 「このアメリカ合州国の政府というやつは、沢山の顔を持つ奇妙な化け物としか言いようがないものでな。・・・あのときだって、片方で合州国陸軍はレイム・ディアに平和のうちに狩りをする許可を与えておきながら、もう一方では、全く同じ時に、奴らめ、熊皮を着たネルソン・A・マイルズじじいには、万一保留地の外で狩りをしているインディアンたちの姿を目撃したら、発見次第これを「敵対行為」と見なして掃討せよなどと伝えたりしていたのだ」(『インディアン魂 レイム・ディア』河出文庫・1998年)。アメリカ政府は二枚舌で弱者に生殺与奪の権を揮う「伝統」を今も保持するのだ。

       2011/10/15  須田 稔
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 核武装論議が日本の自立・自尊への道?

2011/10/13 14:20
 核燃料再処理工場が青森県六ヶ所村にある。立地申し入れが1984年。88年7月17日、日米原子力協定を改定1993年から約2兆円以上の費用で建設。豊かとは言えない村が先祖代々の土地を「原子力」に手放して協力した「決め手」は「国策」の2字だ、と11日付『毎日』夕刊で牧太郎・専門編集委員が「大きな声では言えないが」書いている。
 「村は、原子力マネーで“豊か”になった。ここ数年、1人当たりの市町村民所得が県内でトップになった」。
 しかし、牧太郎氏が最後に訪ねた2005年、この施設は定期11回、抜き打ち14回、国際原子力機関の査察を受けていた。「潜在的核保有国」になったからだ。つまり、今や世界は日本を「核保有=核武装」するかもしれない国と視ているわけだ。
 そこで牧氏は、「脱原発は紛れもなく『核保有の放棄』。・・・『国の安全保障にかかわる重大な選択』なのだ」と論じる。

 重大な選択ですぞ。軽々しく脱原発を選んでいいのですかい。牧氏はこう読者をおどしているようでもある。
 ヒロシマ・ナガサキ・ビキニと米国から被害を蒙って「ノー・モア・ヒバクシャ」と世界に訴えてきた日本人民が、フクシマで自国民ばかりか他国民にも核の加害者になったのだから、核の保有は金輪際しないと宣言する。だから、原子力発電も核燃料再処理も断念するし、放射性廃棄物と水・土を含めての放射能汚染物は、東京電力本社・電気事業連合会・経団連・経済同友会・自民党本部の地下深くに埋蔵する、勿論、アメリカの核兵器の傘も返上する、核兵器保有国に開発・製造・貯蔵・輸出入・使用など一切を禁止する条約・協定を可及的速やかに締結せよ、と執拗に強硬に要求する。『人間の安全保障』に関わる重大な進路はこうですよ、と牧さん、小声でもいいから言ってくださいよ。

 12日付「異論 反論」の西部邁氏は、世界中のヒバクシャの不安と痛苦の叫びを聴く耳を持たないようだ。
 「アメリカが日本に軍事基地を置いて平然として居れる、日本が外国の軍事基地を受け入れることを恥辱と感じないのは、戦後日本に『自主防衛の構えがみじんもなかったからである』」と西部氏。そこで、「核武装論議をやってみること、それが日本の国家を自立と自尊に向かわせるための肝試しになるのではないか」
と提起する。

 戦争放棄と平和的生存権の確認という日本国憲法の理念を世界の共有公共財にする努力にこそ、日本国の日本人民の「自立と自尊」があるべきだったのだ。核廃絶をどの国よりも強硬に執拗に呼びかけることに、私たちの自立と自尊があるのです、西部さん。
 確かに、こういう国家にあって「66年間もすまっている1億2000万の人間にあっては、恥辱の感覚もすっかり鈍麻しているに違いない」と言えるかもしれませんね。日本国憲法の絞殺の始まりが、公布一年余後の1948年1月6日のロイヤル米陸軍長官の「日本を反共の防壁へ」演説でした。日清戦争から45年8月15日まで50年ほどですから、軍国主義・大政翼賛政治より日米安保政治の方が長いのですね。洗脳されて「自立と自尊」は剥落したとも言えますね。
 原子力発電をやめます、プルトニウムはアメリカに引き取ってもらうよう奮闘します、世界に原発と核兵器の早急な廃絶を訴え、日米軍事同盟は対等友好条約に変換します、と宣言するのです。対米依存・対米従属から、武力信奉から脱却するには、日本国憲法の擁護・尊重で世界の人民の圧倒的多数の支持を得ることです。

      2011/10/13  須田  稔
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富士山は世界文化遺産に値するか

2011/10/11 13:29
 10月10日付『毎日』。ガッカリさせられるのは、またしても「社説」。
 「文化遺産富士山」のテーマで、主張は「信仰、芸術の源泉として」。「世界遺産登録を目指すことは、外国の視線にさらされることだ。人類共通の文化遺産として、どう説明すれば、普遍的な説得力を持つのか。それを絞っていく過程で、私たちにとって富士山とは何なのか、自問を深めることになる」。
 中曽根元首相が、この登録運動の提唱者だった、という記憶があって批判した事がある。
東富士と北富士に今は自衛隊の広大な演習場があり、時にアメリカ軍と共同実弾演習もして、裾野に重金属の破片をたっぷり埋め込ませることが、信仰や芸術の対象あるいは源泉である富士山をどれほど冒涜あるいは損壊しているか。軍事演習場であることをやめることで、初めて自然遺産なり文化遺産として世界に誇れるのだ。登録運動と基地撤去運動を結合せよ。 
 社説子は、裾野だから問題にならないと考えるのか。ごみを無くすことだけが富士山『再生』の方策ではなかろう。熟慮してほしい。

政治は福島の苛酷な現実を見よ

 山田孝男記者の「風知草」の標題は「こっちへ来てみろよ」。「福島は依然、戦場である」が冒頭にあり、「東京では経済成長と原発輸出が論じられている。間違っていると私は思う」で結ばれる評論、政治あるいは政府への憤りを抑えての論説、貴重なのだ。野田首相、一読を。
 被曝中心地の福島の現実をしかと視よ。音もなく放射能が降り注いでいて、こどもたちが、作物が、土が、水が、大気が、安心できない、そんな日々。
加害者の東京電力・電気事業連合会・お抱え学者、献金で飼育された政治家、つまり『原子力村』住民は、謝罪もせず、政党交付金を返上して被曝者救援・被災地復興に用立てる意志もない。新聞もテレビも、広告費のスポンサーが大事だから、舌鋒鋭く電力会社を糾弾することは至難の業だろうが、山田さん、「間違っていると私は思う」よりも、「こんな政治は間違っていると、読者のみなさん、私といっしょに声を大にして政府に物申しましょうよ」と書いてほしいです。
 死の灰を大量に広域に撒き、内部被曝で晩発性障害をもたらす、つまり時間をかけて死に至らしめる、これは証拠隠滅が限りなく可能なホロコーストではないか。「原子力村」の面々は犯罪者なのに、このことの自覚が皆無なのが恐ろしい。「直ちに健康への影響はない」という新たな「安全神話」で自己の免罪に狂奔中だ。

アメリカでの抗議デモ・集会の意義

 10日付の7面に、ニューヨークの山科武司記者発信の記事。「世の中 変えたい」「拝金主義への抗議、体現」という見出し。
 9月17日から始まった、若者中心の「ウォール街を占拠せよ」運動。全米の主要都市から海外にも飛び火する勢いを見せていると、記者の観察。
 「富の偏在」「高止まりの失業率」、つまりは「経済格差の拡大」「行き過ぎた資本・市場主義」への抗議、「拝金主義」への批判。「経済・政治・社会の現状に不満」だとしても、「戦争を終われ」「核兵器禁止条約を結べ」「外国の米軍基地を閉鎖せよ」などの声はないようだ。
 Wikipediaの情報によると、9月26日にはノーム・チョムスキー教授やマイケル・ムーア映画監督、女優スーザン・サランドン、オノ・ヨーコが支持を表明、30日には最大の労働組合組織AFL・CIOも参加を表明。金融資本と軍産複合体の独裁・乱暴狼藉に対する非暴力の反乱。日本でもと思う。

     2011/10/11   須田 稔
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「ヘイト・クライム」(憎悪犯罪)を黙過する それは 私の尊厳を否認すること

2011/10/10 17:38
 昨日10月9日午後、同志社大学明徳館で、シンポジウム「現代日本の排外主義とヘイトクライム――民族教育を拒む日本社会を変えていくために」があった。学者3人・弁護士1人がそれぞれ「嫌韓流」「現代レイシズム」「ヘイトクライム規制」「民族教育権」を論じて、刺戟され啓蒙された。
 
 「嫌韓」、「Islamophobia」という言葉を最近目にする。phobiaは「(特定の事物・活動・状況に対する)病的恐怖〔嫌悪〕、恐怖症」の意。
 「排外主義」は、外国人・外国の文物や思想を排斥する人間観・世界観のこと。偏狭な民族主義。排外的愛国主義。「ショーヴィニズム」Chauvinismは、熱烈なナポレオン崇拝者の1兵卒の名Chauvinに由来する。熱狂的軍国讃美者、特定の主義・集団への熱狂的忠誠の意。
 「ジンゴイズム」Jingoism は、「(露土戦争の時の対露強硬策を歌ったイギリスの愛国的な流行歌中Jingoの語から)好戦的な愛国主義」と『広辞苑』で解説される。
 「Nativism」はアメリカ特有の語のようだが、「移民排斥主義〔政策〕。住民の利益を移住民の利益に優先させて保護する政策。原住民保護〔復活〕(政策)」。
 「レイシズム」は「( racism)人種差別主義」。

「ヘイトスピーチ」という語があるのだ。1994年第2版の『小学館ランダムハウス英和大辞典』に、hate mail「中傷文書、抗議の投書」、hate radio「言いたい放題の悪口を言わせる番組」、hate sheet「偏向出版物:ある人種・国民・宗教・団体などに対する偏見と憎悪を売り物にする新聞など」があるが、hate speechは未だなかった。「言いたい放題の罵詈雑言で中傷と憎悪を相手に投げつける演説」という意味になろうか。
 朝鮮学校にたいする言葉の暴力行使は、「ヤマト民族至上主義」「比類なき天皇制国体論」「帝国主義的盟主たる自己像」「偏狭で偏執狂的な愛国心」から来る他民族排斥主義であって、一人一人の尊厳と平和に生きる権利を蹂躙する非人間的な犯罪であると断言できる。

 『広辞苑』をひくと、「侮辱罪」は「具体的事実を示さずに公然と他人を侮辱する罪」。「名誉毀損罪」は「具体的事実を示して公然と他人の名誉を毀損する罪」。
 きょうのシンポで弁護士は、「名誉毀損罪〔刑法230条〕」は「3年以上の懲役若しくは禁固又は五十万円以下の罰金に処する」で、「侮辱罪〔刑法231条〕」は「拘留又は科料に処する」であることを教えてくれた。が、「侮辱」と「名誉毀損」の相違は「事実」か「評価」かにある、と言われても、どうも良くわからない。 ある人なり団体を侮辱するのは、その人なり団体の名誉を毀損することではないか、と考えてきた僕だ。
 ともかく、京都地裁は、今年4月21日、原告・朝鮮学校側の刑事訴訟について、被告・在特会にたいして「威力業務妨害罪」と「侮辱罪」を適用して有罪を宣告したのであった。法は正義を貫いたと言える。

 「在日特権を許さない市民の会」。在日コリアンは個人として民族としての権利を剥奪・制限されているのが実態なのに、特権を与えられているなどと虚偽を言い立てる。
 「主権回復を目指す会」は、目に余る対米従属の現状を改めよと主張する団体かと思いきや、在日コリアンを忌避して日本領土から駆逐しようと画策する組織らしい。
 核武装せよ、原発を再稼働せよ、国会議員定数を削減せよ、消費税をあげよ、などを叫ぶ勢力と根っ子で繋がっているのだろう。

        2011.10.10  須田  稔
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核兵器と原発をどう見るか 原水爆禁止2011年世界大会での発言・『大会の記録』から

2011/10/07 22:34
 核兵器と原発との関係に留意し、原子力の軍事利用に反対するとともに、原発依存からの脱却と自然エネルギーへの転換を求め、広範な運動との連帯をつよめよう。
                                   8・5国際会議宣言

 広い範囲に放射能汚染をもたらしている福島第1原発事故に、私たちは強い怒りと不安を感じています。原発は核兵器開発とむすびついて生み出されたものだけに、核兵器廃絶で一致して運動する私たちも、国民的な運動と連帯し、原発からの撤退と自然エネルギーへの転換を求めます。
                                    広島からのよびかけ・広島決議

 核兵器と原発との関係や放射線被害の実態について学び、放射線によって苦しむ人びとをこれ以上生み出さないとの願いをひとつにしましょう。原発からの撤退と自然エネルギーへの転換を求め、国民的な共同と連帯を発展させましょう。   
                                      長崎からのよびかけ・長崎決議

 核兵器全面禁止条約の実現によって核エネルギーの悪用から離脱した世界を実現するとともに、原子力発電から撤退して核エネルギーの誤用から人類を解放しなければならないと思います。原子力平和利用の権利を認めて核拡散を抑え、核兵器独占を維持しようとする核兵器国の思惑でNPT体制が発足しました。その中で、核兵器国やこれに従属した国の政府が、放射線による内部被曝の深刻さを隠蔽し、核エネルギーの誤用を推進してきました。核兵器廃絶条約の実現はこうしたNPT体制の矛盾から解放されることになります。
     開会総会・主催者挨拶・世界大会実行委員会   議長団・日本原水協代表理事・沢田 昭二

 思い出されるのは、3年前の原水禁世界大会で、地震による原子力発電所からの放射能漏れが発生したことが報告され、費用対効果と収益のために人類の安全や自然環境を犠牲にすべきでないことが確認されたことです。スリーマイル島からチェルノブイリまで、世界各地で頻繁に起こる事故を見れば、やはり、「原子力」という言葉と「安全性」という言葉は相容れないように思われます。核産業の推進者や国際原子力機関IAEAにいる彼らと同類の人びとは、自分たちが「原子力の安全」が神話にすぎないとまだまだ十分に認識していないのではないかと疑いたくなります。原子炉は、核爆弾より危険になりうるからです。核爆弾は、爆発しない限り人を殺すことはありません。しかし原子炉は、爆発しなくても人を殺すかもしれません。繰り返しになりますが、平和利用であれ何であれ、原子力に安全性はありません。この事実を、自らが世界資本主義の一部である原子力産業界は未だに認めようとしません。
      アラブ連盟・軍縮・戦略問題特別顧問  モハメド・エゼルディン・アブデル=モネイム

 核不拡散条約NPTは、・・・基本的な欠陥があります。核兵器の拡散を防止しようとする一方、いわゆる「平和目的」の核技術の普及は推進する立場です。しかし、ウラン濃縮技術を持っている国はいずれも核爆弾を作る能力をもっているのです。原発計画を隠れ蓑に核兵器を持とうとしてきた国もあります。また、核兵器を製造する必要が生じた場合の準備のためにのみ、原子炉を建設してきた国もあります。原発と核兵器の関係が表裏一体であることは、火を見るより明らかです。
      核兵器廃絶国際キャンペーン・オーストラリア担当理事・ティム・ライト

 私たちは、活動の中で原子力と核兵器の結びつきについて常に強調してきました。そして、チェルノブイリの悲惨な原発事故から25年、広島、長崎の恐ろしい出来事から66年の今年、私たちは再び震撼することになりました。人類は原子力技術の制御不能に陥ったのです。
      核軍縮キャンペーンCND議長 デイブ・ウェブ


   10・7 須田 稔


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「未来は私たちで決めよう」と呼びかける 雨宮処凛さんへ

2011/10/06 00:26
 処凜さん、と呼ばせて下さいね。年齢差44歳ですし。
 原爆投下を、国際法のあるなしを問わず、人道上許しがたい残虐非道と非難することもしないし、植民地統治と15年戦争で、アジア諸民族に民族の尊厳抹消・略奪・殺傷・放火・破壊・拉致・強制労働・性奴隷制など極悪の惨害を与えた犯罪を謝罪も補償もせずにいる政府、原爆の非人道性をすこしでも隠蔽したいアメリカに寛容で、原爆被災者の内部被曝を無視する一方で、殺傷と破壊が任務の最新最強の兵器で世界に睨みを利かすアメリカの基地に国民の税金をふんだんに使い、「日米軍事同盟」を「国際的公共財」などと自讃する、そんな政府を66年もの間もちつづけていること、主権者の一人として痛恨の想いを噛むのです。

 「主権者はどこにいるのか国の春」と詠んだ京都府知事だった蜷川虎三さん。その想いは?主権者をないがしろにする政府を批判してでしょうが、主権者がその存在を主張しないことを嘆くとも詠めますね。
 首長の選挙で、投票率が町村では80%台が多いかなと思えるのですが、市になると人口規模に関係なく50%を割るところが多いのでは。棄権の多さは、不信や諦念や無関心の広がりを示すものでしょうから、危険ですね。

 アラブ世界では独裁政治への反撥が、アメリカでは失業・生活窮乏化の震源地である金融資本への抗議が。「ウォール街を占拠せよ」「マネーはジョブに回せ」となって高揚していますね。「人口のわずか1%の富裕層の貪欲」への抗議、「腐敗の根絶」を要求する、「党派からの中立」を建前にした、反戦団体・消費者保護団体・貧困問題に取り組む団体など多様な団体と個人が参加している運動と伝えられますね。
 1日には1500人規模のデモで、「交通妨害」を理由に700人が逮捕されたといいます。
その大半は即日釈放されたらしいですが。

 処凛さんの寄稿文によると、11日、1万人が参加した「新宿・原発やめろデモ」で12人が逮捕されたそうですね。「警備の警察がデモ隊に乱入するなど混乱を引き起こし、その中で次々と参加者が逮捕されていくという状況だった」と。「暴力集団」が挑発して非暴力抗議デモを警察に弾圧させる事が今もあるかもしれませんが、人民の正当な抗議デモや集会を弾圧するのは、支配層に共通の本性ですね。

 アメリカの「平和と正義をめざす連合UFPJ」の文書に「核兵器と原発は悪の双生児」という言葉があって、これほど分かりやすいスローガンはないのではと思います。

 処凜さんの寄稿文で、実に嬉しいのは、「デモは誰にだってできる。・・・・憲法で保障されている権利なのだ」という一節。
このごろ、日本国憲法を尊重・擁護する言論が少ないと思いませんか。改憲をたくらむ動きが執拗に続いていますが、日米安保条約にしがみついていては、日本の未来は暗いでしょうに。
「自分の頭で考え自分の意志で行動する」、勿論、いのちこそ宝、いのち豊かに、すこやかにと祈る心で。こう考える処凜さんに共鳴します。 
 「集団自決」に軍の強制はなかったと書く教科書、それを許す検定に抗議した沖縄県民は11万人も集まりましたね。6・19さようなら原発集会に6万人ですが、東京なら二十三区で68万人くらいが決起すべきですね。そして継続が大事ですね。「なくせ原発10・30福島集会」が大集会になってほしいですね。
 「未来は私たちで決めよう」。連帯します。

       2011/10/5  須田 稔
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原爆投下は国際法違反 核兵器廃絶・脱原発の運動で叫ぼう

2011/10/05 14:06
 うれしい論説や情報に出会うと、『毎日』の定期購読者をやめなくて良かったと思うのだ。
 10月4日の「火論」で玉木研二・専門編集委員が書くように、過去の輝かしい良識を記憶から蘇らせる、つまり語り継ぐ事は、新聞でも果たせる大事な使命なのだ。
 世界で初めて、『原爆投下は国際法違反』と司法判断したのは東京地裁で、1963年12月7日だった。
 日本原水協刊行の『ドキュメント1945―1985』にも記載されているが、広島・長崎の5人の被爆者が1955年4月25日に起こした損害賠償請求訴訟。「原爆投下は非人道的な残虐兵器を禁じた国際法に反し、戦後、米国に対する損害賠償請求権を放棄した国に補償する責任がある」と言う原告の主張。訴えた金額は一人当たり20万〜30万円。
 高橋博子『封印されたヒロシマ・ナガサキー米核実験と民間防衛計画』(凱風社・2008)で初めて知ったのだが、1945年9月15日付『朝日新聞』に、鳩山一郎が「 “正義は力なり”を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことはできないであろう」と米国批判論を書いた。が、占領軍は『朝日新聞』を19日から2日間発禁処分するとともに、19日に「プレスコード」を発令した。
 占領軍は報復的弾圧。日本政府は原告に反論して、「原爆について規定する国際協定がない以上、その投下が違法とは言えず、原告に請求権もない」と主張。法律や規則がないから、凶暴・残酷な行為といえども違法とは言えない。こういう論法を恥ずかしがることなく固持する国家をまともで正気な国家と思えるかだ。
 8年以上も費やしての東京地裁の判決は、賠償請求権は認めなかったものの、原爆投下の違法性は認め、かつ、被爆者支援策について「この程度のものでは到底原爆被害者に対する救済・救援にはならない」、また、「戦後十数年を経て高度成長を遂げたわが国において、国家財政上これが不可能で在るとは到底考えられない。我々はこの訴訟を見るにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない」と批判した。

 1996年、国連の求めで国際司法裁判所は核兵器の使用を慎むように「勧告」した。広島・長崎両市長は国際法違反と陳述したが、政府は違法性問題には口をつむぐのであった。
 それでいて、「唯一の被爆国」という言葉だけはスラスラ出てくる政治家たち。軽薄な知性と貧困な想像力。ああ、と嘆かざるを得ないのだ。玉木さん、ブッシュからオバマに、自民から民主に、チェンジしても地球社会の危機は深まるばかりですね。希望を創り出したいですね。

 夕刊の10面。パナマ市で開催中の国連気候変動枠組み条約第17回締約国会議で、日本政府は、途上国の地球温暖化対策支援として原発を排除しないと表明したと。何を考えているのだ、野田内閣は!

 僕の想定外のニュース。1面に「連合『脱原発』を宣言 方針転換 古賀会長『中長期的に』」の見出し。この「転向」は大歓迎だ。
 2面の「牧太郎の大きな声では言えないが」に共感する。「踏まれても蹴られても誠心誠意、沖縄の皆さんに向き合っていくしかない」。対峙する、或いは対決するべきは、米国なのに、米国植民地総督みたいな玄葉外務大臣の自己認識。牧さん、沖縄県民を加害者と観る大臣を大声で、社説で、糾弾しましょうよ。
 4面に、「反原発デモ逮捕に抗議声明 柄谷行人さん会見 『意志表示に希望』」。そう、希望の揺らめく燭光が見える。

     2011/10/5   須田  稔
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■なぜ大きな声では言えないのか

2011/09/29 23:00
 9月27日付『毎日』夕刊の「特集ワイド」。五木寛之氏が、「この国は何処へ行こうとしているのか」に応えて「『下山の思想』持とう」と語っている。「3・11以後、頼るべきものは何か? ・・・国でも・・・学者でも・・・メディアでもない。一日、一日を生きるには自分の身体と心しかない。・・・だって脱原発、原発推進の立場に関わりなく、放射能の時代を生きざるを得ない。原発をやめても使用済み核燃料は残りますから。これから何百年かかるかすら分からない。風向きで放射性物質が広がり、雨に混ざって放射性物質が降る。雨にも負け、風にも負け・・・。宮澤賢治も絶望する、トンデモナイ時代になってしまった。でも、ゴキブリのように生き延びる。生き抜かなければ」。
 『下山の思想』とは、僕流に言えば、視野を広げ、かつ足元の現実を見すえる、想像力と直視力の結合ということだ。

 この2面に「牧太郎の大きな声では言えないが」。「ああ、増税一直線」で、「この欄でも何度か指摘しているが、過剰なサービスの最たるものが政党交付金。政党が「企業・団体献金をもらわない代わりに」とウソを言って、血税を飲み食いにまで使う。「サービスの平等」が怪しい」と書く。拍手するが、異議ありだ。
 この問題、「社説」その他でもっと綿密な論理で明快に提起した、あるいは批判した事はあるのだろうか。「この欄で何度も」とあるが、小さな呟きでしかなかったのだろう。なぜ、この「ウソ」を放置するのか。しかも、「政党が・・・ウソを言って」と書くが、抑も政党支持の自由という基本的人権を『国民』から奪う反民主主義の暴挙だと主張して、受け取りを拒否し続ける日本共産党を無視していて、無礼ではないですか。企業からの献金の全面禁止・国民の税金からの政党交付金の廃止を、何故大きな声で叫ばないのですか、牧太郎さん。

 「9・19さようなら原発集会」は6万人以上が集まったという。世論は8割が原発をゼロにだ。政府の原子力委員会が原子力政策について意見を募集したら、原発廃止は98%を占めたと、27日発表。28日付『しんぶん赤旗』が1面で記事に。
 原発維持・推進の学者を「良識派の研究者」と呼ぶ経団連21世紀政策研究所研究主幹が、「過激で極端な事例や声ばかり」の報道で「国民の不安が募る」「空気」の中、「良識派の研究者が沈黙していると嘆き、「全て比較考量してからでないと確たる事は言えないし言える事は限定される」と原発廃止論に反撃しているつもりらしいが、警告する研究者を無視し迫害し、「確たる事は言えない」のに「安全神話」を流布した非科学的・反道徳的な罪業を自覚していないのは哀れにも愚かというほかない。

■『日本はアメリカと価値観を共有している』。自民・民主・公明の議員や学者・評論家が言う。どういう価値観?

 アメリカは国連安保理の決議なしでも戦争を発動したし、枯葉剤・劣化ウラン弾を使用するなど良識から見れば「ならず者」。
 ほかにも、
・国連小型武器会議、01年7月、行動計画
採択。06年履行検討会議は米反対で合意見ず。
・99年3月発効の対人地雷禁止条約に米・ロ・中は未署名。
・66年の国際人権規約(社会権規約)と(自由権規約)の第1・第2選択議定書が未批准。
・79年の女子差別撤廃条約・89年子どもの権利条約を未批准。などは事例の一部だが「犯罪歴」がある。こういう国と価値観を共有すると誇らしげに言う政治家や有識者の良心も知能も稀薄なのだ。

     2011/9/29   須田 稔
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怒り心頭に発し 怒髪天を衝く 「国民」であることが恥ずかしい

2011/09/27 23:16
 9月27日付『毎日』トップ記事は「陸山会3元秘書有罪 4億円虚偽記載 東京地裁「水谷裏献金隠蔽」。被告側は「独断的臆測に基づく不当判決」として控訴するようだ。小沢一郎・民主党元代表の法的責任が問われないのは何故? 政治責任は問われるべきだろう。

 1面に、もう一つ見過ごせない記事が。09年11月のオバマ大統領初来日に先立って、藪中外務事務次官が8月28日にルース駐日米大使と会談。「特に反核グループ内で期待が高待っていくとの見通しを示し、日米両政府はそうした世論の期待を抑えなければならないと釘を刺した。藪中氏はその上で、大統領による謝罪のための広島訪問には否定的な見解を表明。・・・初来日の際に広島を訪れるのは時期尚早との考えを示した」。
 これは、内部告発サイト「ウィキリークス」が公開した米外交文書で26日に明らかになったという公電。この公電は、在日米大使館がクリントン国務長官らに宛てて作成した09年9月3日付の文書。

 いま藪中氏は外務省顧問。「不正な方法によって公開された文書にはコメントしない」と。
文書の内容を全面否定しないのだから、黙秘と見なしてよいだろう。
 いやあ、これが『唯一の被爆国』の外交責任者か。09年4月5日のプラハ演説で「唯一核兵器を使用した核保有国として、アメリカには行動する道義的責任があるのです(岩波新書『オバマ演説集』117頁)」と語ったオバマ大統領だ。じゃ、広島・長崎に来て謝罪表明してもらおうではないか。核なき世界を実現するリーダーシップをとって具体的な核兵器禁止条約締結を他の保有国に呼びかけてもらおうじゃないか、
それが『唯一の被爆国』の政府と主権者人民の確固たる総意なのです、と広島で日本の首相・外務大臣・衆院議長が口頭でも文書でも大統領に表明すべきではないか。
 「ノー・モア・ヒロシマ、ノー・モア・ナガサキ、ノー・モア・ビキニ、ノー・モア・ヒバクシャ」、だから「核兵器廃絶!」。この「人間を返せ」の平和希求運動の高揚を危惧し敵視する外務省高官。いや外務省全体。亡国集団。

 「深層崩壊」は地層のことに止まらない。日本の政治・外交・経済など人民の生活の基本を支配する領域で崩壊が進行中なのだ。
 国連の原子力安全に関する首脳会議で、野田首相は「原発の安全性を世界水準に高める」と述べて、再稼働・輸出を推進する路線を表明、電力会社・原発メーカー、さらには自民党と米国の期待に応える決意なのだ。
 福島原発事故の原因究明・現状把握・収束方法と時期・被曝住民への補償と健康保障など未だに曖昧なまま、よくもシャーシャーと世界に向けて言えたものだ。大臣も党幹部もだ。
 民意に背く政治は民主政治ではない、「経世済民」でなくて「専制棄民」だ。


 鉢呂前経産相は「死の街」発言で辞任させられたが、「原発はゼロになるだろう」という趣旨の発言もしていた。「直ちに影響はない」と放射線被曝を軽視、SPEEDIの予測結果も公表せず、避難指示遅れで福島県民を被曝の脅威に長時間晒した前官房長官の枝野新経産相こそ辞任に値するのではないか。「脱原発」を口にしたから菅直人を首相から引きずり下ろしたのと同じ手口が横行。政治「崩壊」だ。

浜岡原発から10キロ圏内の牧之原市議会が永久停止を決議、上関で原発推進派町長が反対派候補の2倍の得票で再選。貧困に追い込んで「カネ」か「イノチ」かと迫る非情の政治。

      2011/9/27   須田 稔
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ああ オバマよ 野田よ もっていないのか 正義感も 良心も 未来への責任感も

2011/09/24 00:22
 9月23日の『毎日』は「社説」で「パレスチナと米」と題して「正面衝突避ける知恵を」と論じ、2面「なるほドリ」は「パレスチナはなぜ国連加盟申請するの?」という質問に「国家樹立気運高める狙い 米の拒否権で実現可能性なし」との見出し。

 去年9月23日、国連総会でオバマは「ユダヤ人国家の真の安全保障には独立パレスチナが必要なのだ(true security for the Jewish state requires an independent Palestine –one that allows the Palestinian people to live with dignity and opportunity) 」と演説していた。そして双方に1年以内の和平合意を呼びかけていた。
 しかし、アメリカが無法者国家イスラエルの唯一の擁護者であることは否定しようがない。今年2月、18日にはイスラエルの入植活動を『違法』とする安保理決議案に唯一拒否権発動し、24日には総会で120超の国がイスラエル非難決議の共同提案国になったほど国際世論は良識を堅持したのに、反対したのだ。
 2006年11月、イスラエルのガザ攻撃を「国家テロ」「不道徳」と非難する決議に安保理で拒否権行使、17日の総会で賛成156,反対9,棄権6で採択された。
 『毎日』の「社説」は世界の良識に敵対するアメリカを次のように書く。「米国の研究者によると、米国が拒否権で葬ったイスラエル関連の安保理決議案は、72年から06年までに40余りに上る。こんなに米国が懸命にかばう国は他にはあるまい」。
 「なるほドリ」の回答はイスラエルと米国を非難しないしパレスチナに同情的でもない。「社説」は「パレスチナの正式加盟に大多数の国が賛成とされる中、米国はイスラエルの利益のみを考えてはいられまい・・・オバマ政権の指導力と公正さが問われている」と無難に結ぶ。

 不正義と軍国主義と環境破壊に反対する良心と勇気を持ちたい僕は、オバマ大統領にも野田首相にも憤る。公正と非暴力と共生を希求する僕は、「私たちは日米同盟のありがたさと日米関係の強固な絆を再確認した」と「社説・日米首脳会談」で書く『毎日』に失望する。
 「ならず者国家イスラエル」を擁護するのは、自国の暴力と懐柔による他国支配の歴史を肯定したいからなのだろうと思いたくなるのだが、そういうアメリカ、原爆投下も占領中の日本への反民主主義施策もヴェトナム戦争・枯葉剤撒布も謝罪しない国と、大日本帝国の植民地主義侵略戦争犯罪の被害者にいまだに謝罪も補償もしていない、加えて、核兵器の傘をひろげられ、先制的侵略であるイラク戦争の発動者アメリカを支持し荷担する私たちの国との同盟を「ありがたいこと」と認識する大新聞。
 「原発の安全性を世界最高水準に高め」て国内で再稼働を目指し、途上国へ輸出したいという首相。普天間基地問題で「日米合意に従い進める」と言明する首相。沖縄県民の総意・日本国憲法の理念を実現することが人類社会への名誉ある貢献となると確信する日本人民の熱望に背を向ける首相。明らかに、沖縄初め日本全土の人民の平和的生存権よりは米国、そして米国の傘の下で甘い汁をお裾分けしてもらって肥ろうとする財界や政党の覇権欲を大事にしたいのだ。鳩山よりも菅よりも、自民党と同盟関係を強めたい野田なのだ。
 鳩山政権は日米合意を見直す、つまり普天間基地の県外移設をめざす方針で、米側は反撥下。その中で09年11月14日、オバマ大統領が東京で演説、「平等と相互尊重のパートナーシップを守るべく常に努力します」と。現実は不平等と上意下達の主従関係でしかないのだ。日本は米国の利益のみを考えていいのか。

     2011/9/23  須田  稔
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